20161116

三浦綾子が堀田綾子であった時代を語るうえで忘れてはならない人がいる。自伝小説『道ありき』に登場する、幼馴染で恋人の前川正さんである。
1946年4月、綾子は結納の日に貧血で倒れ、肺浸潤と診断され療養所に入った。彼女はそこで前川さんと再会した。投げやりで真面目に療養生活を送ろうとしない綾子に、前川さんは根気強く諭していく。彼女は反発を感じていたが、彼女の人生を大きく揺るがす出来事を境に自分自身や彼が信じるキリストと少しずつ向き合うようになる。
その頃、綾子の病状は一向によくならず、はっきりした診断が出ない状態だったので、前川さんは「一度徹底的に見てもらいましょう」と北大病院で一緒に診察を受けることを提案した。
1950年6月、二人は札幌へ向かい数日滞在して診察を受ける。その後、宵宮祭でにぎわう街を歩き、前川さんは古本屋で綾子に堀辰雄の『菜穂子』を買ってくれて、紫烟荘でモカコーヒを飲んだ。この写真は、その時贈られた本である。自伝『道ありき』にはこのメッセージがそのまま記されている。収蔵庫でこれをそっと手に取った時の感動を何と言ったらよいのだろう。『菜穂子』に綴られた正さんの文字からはその優しさが伝わってくるようだ。当時綾子は28歳、前川さんは30歳。古いものなのですでに色褪せてしまっているが、二人の青春の日々は確かにあったのだと思わせてくれる。
2年後、綾子は誰も知り合いがいない札幌で入院し、ついに脊椎カリエスの診断が下る。病院のベッドで、彼女はこの楽しかった日を幾度となく思い出したのではないだろうか。おそらくこの本を枕元に置いていたのではないかと想像してしまう。また綾子は前川さんの紹介で西村久蔵氏に出逢い、聖書の話を聞き、彼が所属する教会の小野寺牧師により病床洗礼を受ける。綾子の札幌は人生の大きな変化の年になった。
前川さんは綾子が札幌に入院中に肋骨を切除するという大きな手術を行った。手術は成功し健康が快復したかに見えたが病巣は完全にふさがっていなかった。綾子は1953年10月に札幌の病院を退院し自宅療養が始まっていた。しかし前川さんが綾子を見舞ったのはその翌月の11月が最後となり、1954年5月に亡くなってしまう。綾子はギプスベッドに仰臥する日々で葬式にも行けず、心の支えを失った悲しみはいかばかりであっただろうか。

綾子は作家としてデビューしてすぐに、現代小説を次々に執筆した。2作目『ひつじが丘』の奈緒実、『塩狩峠』の信夫、『続氷点』の陽子と現代小説の主人公はその10代から20代の青春時代に札幌の街を実に生き生きと闊歩する。その中には実在する場所がいくつもあるが、綾子の想い出である紫烟荘や宵宮祭、北大もさりげなく登場している。また作家生活が始まってから、取材で円山公園、藻岩山、山鼻などあちこちを訪れ、登場人物の住んでいる街並みが細かく描かれている。
札幌は堀田綾子が実際に過ごし、物語の登場人物が大きく成長する青春の舞台であった。

(文 長友あゆみ)