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写真:綾子(後列一番左側)と神威小学校同僚6名 神威小学校正門階段(1939年5月3日)

三浦綾子は人生で二度、旭川を離れて生活をしている。一度目は1939年(昭和14年)3月のことだった。綾子は女学校を卒業し17歳で歌志内の神威尋常高等小学校に代用教員として赴任したのである。当時のことは、自伝『石ころのうた』に詳しいが、綾子はこの青春の記憶を最後の長編小説『銃口』を執筆するその時もずっと心に覚えていたのだろう。
作家デビュー作『氷点』を朝日新聞に連載中だった1965年頃から、綾子は短編小説を執筆していた。その中でも1969年に出版した短編集『病めるときも』所収の「井戸」「奈落の声」「どす黝き流れの中より」は、地名こそ出していないが歌志内時代の教師経験を下敷きに執筆したもので、綾子が出逢った生徒をモデルにした作品もある。
また、『銃口』の主人公竜太は旭川出身で旭川に近い「幌志内(ほろしない)」という架空の街に赴任する。幌志内は歌志内がモデルで、竜太が旭川出身かつ10代で赴任する点など、綾子と共通点がある。そのため、竜太が感じた炭鉱の街の雰囲気や子どもたちへの第一印象は『石ころのうた』の綾子の思い出が自然に反映され、生き生きと描かれている。
ちなみに『銃口』連載期間の1990年1月から1993年8月までのうち、1990年12月号~1991年12月号までの1年間が幌市内での出来事であることを考えると、竜太のこの教師時代は物語の重要な部分を担っているともいえる。
綾子はどんな先生だったのだろうか。歌志内時代の綾子を知っている方がだんだん少なくなってきたのだが、先日、お客様でお隣のクラスの生徒さんだったという方がご来館された。神威小学校の同窓会に綾子が出席した時に『氷点』の作家三浦綾子と自分が知っている堀田綾子先生が同一人物と知ってたいそう驚いたそうである。直接教わったことはないが、綾子の声がよく通る声だったので愛情をもって生徒を叱っている声もよく聞こえたと懐かしそうに話してくださった。
今回の展示のために当時の綾子のアルバムなど資料を確認していてふと気付いたことがある。かつての綾子の生徒さんの縁の方から寄贈された写真と、綾子のアルバムに大切に保管されていた同僚の先生方との記念写真(今回アップした写真)の撮影場所が全く同じ「神威小学校正門階段」だったのだ。もしかしてここはみんなのお決まりのスポットだったのではないだろうか。
寄贈された写真の綾子はきりっとしたまなざしでこちらを見つめている。綾子は担任の生徒それぞれのノートをつけていたということであるし(残念ながらその資料は現存されていない)、彼女の小説の主人公もしくは主人公と関わりの深い登場人物の職業ランキング一位が「教師」であると言えることからも、子供と一対一で向き合うことを何よりも大切にしていたのではないだろうか。
展示パネル製作中、歌志内市郷土館夢つむぎの学芸員佐久間さん(綾子の教え子であった方の息子さん)にご案内して頂いてゆかりの場所をあちこち訪ねた。炭鉱が栄えていた当時とはすっかり変わっているが、神威小学校のあった場所のズリ山の跡や炭鉱住宅として使用されていた場所を訪れたとき、綾子の文章とともにその当時のことがフィルムの様に浮かび上がってきた。綾子の青春はここにも確かにあった。
(文 長友あゆみ)