【案内人ブログ】No.4(2017年7月)

山崎健一さん(三浦文学案内人)

山崎健一さん(三浦文学案内人)

 

 

「続氷点」の燃える流氷について

2017年7月5日 三浦文学案内人山崎健一

私はある用事があって網走に行くことになった。網走に行き、この際三浦綾子さんの小説「続氷点」の終章「燃える流氷」についてよく知りたいと思った。

たしか、綾子さんと夫の光世さんは、網走に流氷がやってくる時期を見はからって、取材旅行に行ったはずだ。市の観光課に電話し、流氷がやってきたのを確認し、昭和45年4月4日に夫妻は旭川駅から汽車で4時間余かけ、午後2時すぎ網走に到着。早速海岸にタクシーで駆けつけ、くもった空の下に、流氷が幾重にも海岸から沖の方へと連なっていたのを瞠目した。ホテルに着いたあとも、窓にしがみつくようにして流氷を眺めつづけていたとある。*1

流氷は本当に燃えるのだろうか。私は車を走らせ、綾子さん夫妻が探った所をまわってみようと思った。

まず、天都山のオホーツク流氷館に行き、展示室の流氷の部屋で流氷体験をし、展望台からオホーツク海、濤沸湖、斜里岳や知床連山の絶景を眺めた。

次に行った市立図書館では、流氷に関する本を数冊紹介された。資料室には、燃える流氷に関する資料はなく、学芸員がいる紋別市の流氷科学センターを紹介された。

網走駅前の道を海岸に向かって行くと、道の駅「流氷街道 網走」があり、その中に観光案内所があった。

案内人の女性が、パソコンのホームページを開いて、燃える流氷の写真をコピーしてくれた。そして、海岸線に接岸する流氷が見える高台の台町に向かう道筋を教えてくれた。もちろん6月の今は、流氷は見えないが、

私は網走市内案内図を見ながら、高台から広大なオホーツク海を見て台町から下り、能取岬方面に向かった。綾子さんと光世さんが泊まったというオホーツク水族館の隣りの海が見える宿は「渚亭」と言ったが、今はもう閉館になった水族館と共になくなっていた。私は渚亭のあった場所の前の砂浜に出てオホーツク海をみた。

その後、海岸に沿った道を、北浜、濤沸湖の方にオホーツク海、知床連山や斜里岳を見ながら車を走らせた。この海岸沿いの道は幼い子を連れた夫婦や若いカップルなどの車が行き交っていた。斜里岳は恋人の北原が陽子に語って聞かせた、母の眠るふるさとの千島を望んで北原が何度も登ったという山である。

陽子は、北原の、「網走の流氷でも一人で見にいっていらっしゃい、自然の厳しさと対決したら、感傷なんか吹っ飛びますよ」という言葉に後押しされて、網走に来たのだった。

さらに小説「続氷点」は、次のように描いている。

〈流氷の上の空が、ひとところばら色にあかねしている。陽子はじっと目を向けていた。ゴメが2、3羽、氷原に触れんばかりに低く飛んで行く〉

〈雲のひととこをばら色にそめていた淡いあかねもいつしか消えた。と、光が一筋、流氷の原に投げかけられた。サモンピンクの細い帯が、氷原を染めた。夕光は、宿の裏山のほうからさしているようだった。

ゴメの数がふえてきた。猫に似た鳴声を立てながら、宿の右手双子岩のあたりに群れている。サモンピンクの光は間もなく消えた。再び蒼ざめた流氷が、目の前にあった。流氷の色が、次第に灰色に変わって行く。

この灰色一色の氷原が、人生の真の姿かも知れない。そう思って、陽子は椅子から立ち上がろうとした。すると再び、すうっとサモンピンクの光が、流氷の原を一筋淡く染めた。

次の瞬間だった。突如、ぽとりと血を滴らせたような真紅に流氷の一点が滲んだ。あるいは、氷原の底から、真紅の血が滲み出たといってよかった。それは、あまりにも思いがけない情景だった。

誰が、流氷が真紅に染まると想像し得たであろう〉

〈やがて、その紅の色は、ぽとり、ぽとりと、サモンピンクに染められた氷原の上に、右から左へと同じ間隔を置いてふえて行く。と、その血にも似た紅が、火焔のようにめらめらと燃えはじめた。

(流氷が!流氷が燃える!)

人間の意表をつく自然の姿に、陽子は目を見はらずにはいられなかった。墓原のように蒼ざめた氷原が、野火のように燃え立とうとは)

〈流氷が燃えるのを見た時、陽子の内部にも、突如、燃える流氷に呼応するような変化が起こった〉そして陽子は、

〈自分がこの世で最も罪深いと心から感じた時、ふしぎな安らかさを与えられ〉〈おかあさん!ごめんなさいと呼びかけるような思い〉になった。

*2

 

光世さんは、

「ラストの流氷が血の滴りのようになったり、焔のようにゆらめく情景は、確かに容易に信じ難い事象ではあったが、私たち二人でまちがいなく目撃した事実である」

という。

*1

 

私は、図書館で紹介された、菊地慶一さんの著書「流氷」を読んでみた。網走に住いを定めて流氷観察をしてきた菊地慶一さんは、蜃気楼やお化け水という幻氷は見たが、燃える流氷に遭遇したことはないと書いている。

*3

また、私が今回訪ねたところは、どこでも、燃える流氷を目撃したという話は聞かなかった。本当に流氷が燃えるのだろうか。容易には信じがたい事象ではあるが、綾子さんと光世さんはおよそ1週間をかけて取材をしている。その時間だけを比べても、数時間だけの私が見聞きして得たものはあまりに少ない。

綾子さん光世さんご夫妻の取材から既に40年以上経った今、当時あったものが変わったりなくなったり、また地球の温暖化が進み海が凍るのが年々遅くなり将来オホーツク海の流氷が消滅するかもしれないと言われたりもしているが、ここは「流氷が燃えるかどうか」早急に結論を出さずにじっくり見ていくべきであろうか。

 

1 三浦光世「三浦綾子創作秘話」(「続氷点-人間にとっての「ゆるし」とは」小学館文庫

2 三浦綾子「続氷点(下)」(角川文庫)

主人公 辻口陽子 北原邦雄 陽子の恋人

3 菊地慶一「流氷 白いオホーツクからの伝言」(2004年 響文社)

蜃気楼・幻氷は光の異常屈折現象である。

「退去した流氷が沖合の海上で溶けはじめ、海の表面を冷たい水がおおう。ところが陸上付近は気温が上がる。すると海上にだけ冷たい空気のかたまりができレンズ状になる。そこに光が異常に屈折して、沖合にある流氷を大きく変形させて見せる。今では蜃気楼といわず、幻氷と呼ばれるようになった」という。

 

 

 

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