【案内人ブログ臨時号】(2026年10月)北彩都ガーデン 記:三浦隆一

案内人ブログ

文学館は言うまでもなく、見本林の中に建っており、そのことの意義はとてつもなく大きいと、私たち案内人も、文学館の職員も理解していると思っていたのだが、前文学館事務局長による今回の事態を受け、改めて旭川のまちづくりにおける三浦文学館の存在意義を考えてみる必要があると感じた。

平成7年7月11日に「水と緑と都心ルネッサンス」と題したシンポジウムが、当時の旭川グランドホテル(現在のOMO7旭川)で開かれた。その中で当時の旭川市幹部による次のような発言があった。

私共は何としても北海道で有数の都市だ。よそからも沢山やってきても楽しい、あるいはいろんな買い物をここで出来る、というような素晴らしい街にするのが出発点として大事だろうと。もっと沢山人を集めて、既存の街の中にも波及効果を現すような拠点をつくろう。駅周辺開発計画というのは、ここだけのことを考えている訳じゃなく、旭川周辺の圏域も含め、更にもうちょっと広い範囲で、ここの拠点がどのような役割を果たせるのかな。おそらく、今、しっかりした考え方で進みませんと、同じような都市が沢山ございますので、きっと負けていくだろう。何とか今、新しい考え方で、この地が役割を果たして、全体が繁栄するような核になりたいというのが、基本的な狙いでございます。

そのようにして、「北彩都整備事業」は平成10年にスタートした。あさひかわ北彩都ガーデンはその事業の最終段階において、構想され整備された。

現在ガーデンでは約350種類・8万株の宿根草と花木類が植栽されている。このガーデンの宝ものは何といっても植物であり、約100名のボランティア・ガーディナーが、サポートしている。街の誇りといえるこのガーデンは広さ12haあり、6月から7月にかけてがベストシーズンであるのは、間違いないところだが、私としては、8月以降秋にかけての北彩都ガーデンを推奨したい気に駆られる。

というのは、この時期のガーデンではキリギリスやコオロギ、カンタン(バッタの一種)の鳴き声が聞こえてくる。もちろん花がたくさんあるのだから、たくさんのチョウも舞っている。全体として心地の良い癒しの空間となっている。天気が良ければ、たくさんの人が散歩しているし、平日であれば幼稚園や保育園の園児たちが、シロヤナギの大木の下で遊んでいる。駅に隣接して、川があり、大池があり、ガーデンがあるというような都市は、日本中どこを捜しても旭川以外には存在しない。それだけではなく、先ほどガーデンでは虫の声がすると書いたが、そのことは現在では大きな意味を持つようになってきているのである。

今から約30年前、カナダ・ケベック州のハドソンという小さな町に住むジューン・アーウィンという医師がいた。彼女は彼女の患者たちが抱えていた健康問題が、庭で大量に使用された農薬に関連していることを確信していた。アーウィンは6年にわたってすべての町議会に出席してこの問題を提起した。この粘り強い行動はやがて報われ、町議会では町内のあらゆる化学農薬を禁止する条例の導入に踏み切った。

ハドソンの決定のあと、カナダではトロントやバンクーバーといった大都市を含めて1700の町が農薬を禁じたほか、カナダの10州のうち8州で外観をよくする農薬の使用が全面的に禁じられた。ジューン・アーウィンのおかげで、いまや3000万人のカナダ国民が農薬を使わない地域に住んでいる。日本からベルギーアメリカまで、世界のほかの国のまちもあとに続いた。フランスは、健康問題が農薬に関連しているという考え方を真剣に受け止め、900の町が「農薬を使わない町」を宣言した。これが中央政府を動かし、2020年には国内での農薬以外の化学農薬使用が全面的に禁止された。農薬を購入できるのは、登録された農家だけだ。(デイヴ・グールソン『サイレント・アース』)

私たちはいま「アントロポセン」(人新世)という新たな地質時代に暮らしている。との見方は広く受け入れられている。地球の生態系と気候が人間の活動によって根底から改変されている時代・という意味だ。この新たな地質時代の特徴として、生物多様性の喪失が加速しているというものがある。そうであるから、私たちの目には北彩都ガーデンのような存在は、まるで奇跡のまちづくりのように映る。クライシス(危機)の時代であるからこそ、失ってきたものの大きさに気付かされるのである。

駅から南の地域が旭川市のカルチャーゾーンとして指定されていることの意味は大きい。その一角に三浦綾子記念文学館が存在しているということの意味も然りである。考えてみれば不思議ではないか。まるで三浦綾子さんは将来このようになることを予見していたかのようである。北彩都ガーデンのサポーターもそうだが、三浦文学館の多くのボランティアも女性が多い。それらの女性に対して、前事務局長は、多大なショックを与えた。そのことの罪深さは、言うまでもない。

京都造形大学教授の寺脇研氏は「文化による金儲けは無理」と書いた。別に焦る必要はないのだが、文学館を破壊するような30周年事業を考えたころから、いつのまにか焦りが生まれたのだろう。無料の入館券を配り、それが理事会の許可を得ていないことが判明し、誰もがおかしいと気付くことになった。何が行われたのかと言えば、文学館の私物化である。他の多くの文学館職員に責任はない。外国樹種見本林という特別の財産に恵まれているのだと気付いていれば、何もオープンカフェを造ったりすることはなかったろう。今から考えれば、日本中がコロナ禍で大騒ぎとなった頃から、文学館もこの危機を乗り越えなければということになり、難波による文学館の私物化が少しずつ進行していったように思える。

今、文学館が直面しているのは、コロナ禍とは別の意味での危機である。しかし、幸いなことに三浦綾子・光世が生み出した文学の世界の上に、何らかの変更があった訳ではない。私たち案内人はこれまで通り、誠実に、案内するだろう。その為の研鑽を怠らずに。私たちが負った心の傷は深く簡単に癒えたりするものではないかもしれないが、それでもそうしたことを乗りこえようと考えさせる力が、三浦文学の中にはあるのだと強く思うのである。旭川に来た遊行者が北彩都ガーデンに魅了され、三浦綾子記念文学館にやって来る人が、絶えることはないのだと、確信するものである。

三浦文学案内人代表 三浦隆一

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