今年も行ってまいりました三浦綾子記念文学館ボランティアグループ研修。今回は旭川再発見の旅というテーマを掲げての市内研修です。
場所は常盤公園付近。昔からの市民の憩いの場。すばらしい桜の名所なんですよ。
さて、今は新緑の季節。5月27日、ボランティア17名が集まりました。目の前には北海道遺産の旭橋が見えます。ここは最初の見学場所の旭川文学資料館です。常磐公園内の図書館や公会堂の並びに「旭川市常磐館」があり、この中に資料館が放送大学のサテライト校と併設しています。若干古びてはいますが、赤い煉瓦の壁が新緑によく映えています。
実は私この資料館に足を踏み入れたことが何度かあります。ほかの参加者も同様。すでになじみになっている方が何名もいます。にもかかわらず皆期待をもって研修に参加したのは、今回学芸員さんの館内展示解説があるからです。
果たして、学芸員の沓澤さんが爽やかな笑顔で現れました。さっそく説明してくださいます。
「この建物は昔何だったかご存じですか?――青少年科学館でした」
そうそう、自分らの子供時代なじんでいましたね。プラネタリウムとか見ていました。1963年建てられた煉瓦造りで「旭川市の歴史的建物の保存を考える会」の建築賞を受賞したそうです。 2009年に文学資料館がこの建物で開館。 NPO法人旭川文学資料友の会が運営。ボランティアさんの協力が大きいようです。
いよいよ入館。玄関に入って右手が文学資料館です。
沓澤さんが2階の第1展示室を案内してくださいました。ここでは旭川ゆかりの作家群とその足跡を紹介しています。
12名もの展示がありますので、以下、筆者が気になったエピソードとそれについて後日調べたことだけ、書き進めます。

まず、詩人コーナー。小熊秀雄から……。
ここで本音を言わせていただくと、旭川の詩人たちって、私にはちょっとなじみが薄いんです。今も、自信がないので、以前購入した小熊秀雄賞市民実行委員会ら編集による『いま、小熊秀雄・今野大力』という冊子を参照しながらこのブログを書いています。これまで彼らについてさまざまな媒体で見聞きしてきましたが、作品はたくさん読んでいないものですから。
そうはいっても、今回沓澤さんのお話は興味深いことばかり。もしかすると既知の情報かもしれないことも、新鮮に耳に染み渡ってきます。
小熊は小樽で生まれ、3歳で母を亡くし、継母と父にそりが合わず、15歳から半自活。こんな子供が肉体対労働ばかり。製紙工場の仕事中に手指の一部を失うという事故にも遭う。一方、異父姉は養女に出され、さらに養父によって小料理屋へ売られる。
こんなことがこの時代にはあったのですね。 私の推し作品三浦綾子『泥流地帯』でいうと、主人公の幼なじみの福子も父のせいで遊郭へ売られる境遇にありました。作品の時代も近いです。
小熊の姉は流転の生活にありながらも三味線教授で身を立て、弟と再会するや、彼のために旭川の新聞社に口利きしてやったというから、立派なものです。 小熊も小学校高等科しか出ていないのに、書いた記事を認められ、記者として活躍。ここから一気に才能を開花させます。
その後2回上京。彼はそこでプロレタリア詩人会に入り文学仲間や左翼思想の仲間と交流します。党員ではないが、2回拘留されたそうです。
ところで、三浦綾子作品『母』の中で、昭和8年拷問死した小林多喜二の遺体が自宅へ返されたとき大勢の詩人や作家たちが駆けつけました。母セキさんは遺体に取りすがって「多喜二、みんなのためにもう一度立ってみせねか」と言って泣きました。
※『いま小熊秀雄、今野大力』の中の年表によれば、「小熊、小林多喜二拷問死の報を受けて藤森成吉の所に駆けつけ検挙される。29日間の拘留」とあります。駆けつけただけとはいえ、小熊も多喜二の件で捕縛された一人だったとは! どこかで接点があるものですね。にしても恐ろしい時代。こうした言論弾圧は広がる一途で、やがて三浦作品『銃口』にある北海道綴方教育連盟事件へと繋がっていきました。
小熊は2.26事件の際も、事件を目撃。取材して記事を書いています。まさに混迷の時代を駆け抜けた人物。弾圧が激しくなり作品発表の場がなくなってきても、彼は黙らず「しゃべり捲れ」という作品を書いて詩壇を励ましました。
次は今野大力のコーナー。
小熊と親交深く弟分のような存在だった。16歳のとき北海日日新聞で給仕、翌年は旭川郵便局で小包係として勤務。一方で詩を書き始め、19歳のとき大阪朝日新聞自由詩部門で入選。
凄いです。二人とも貧しさの中でいろいろな仕事を経験し、社会の矛盾を知っていきます。小熊が現実の社会闘争活動から一線を画していたのに対し、大力は上京後は詩も書く余裕がないほどに革命運動に身を投じ、特高に逮捕され拷問により致命的な傷を受け、31歳の若さで生涯を閉じました。
ここに展示はされていませんが、私がたまたま読んで心惹かれた詩「坂道」。「誰にも教えぬ坂道……」から始まる、これは奇妙な詩です。言葉の端々から、※ 党の地下活動で連絡係をしていた彼の体験をもとに書いている詩だと考えられます。が、まるで恋人と密会でもするような不思議なときめきがここにはあります。そういう理想社会への希望の灯火が彼の困難な毎日を支えたのでしょうか。
鈴木政輝のコーナー。
旭川市生まれ。旭川中の文芸部のリーダー的存在だった。日大入学後、川端康成・堀辰雄・萩原朔太郎らと交流があった。帰郷後北海道詩人協会の中心メンバーとして活躍する一方、4条1丁目の建物で茶道・華道を教授。―― なんと、私たち案内人の中に、彼から華道をずっと習っていたという方がいました! おかげさまでがぜん身近な存在となりましたよ。
次は短歌のコーナー。
齋藤瀏 長野生まれの歌人。
旭川第七師団大隊長。参謀長として来旭。ここで旭川歌話会を発足させた。
ところが、昭和11年2・26事件の際、反乱軍に資金援助したかどで拘留。禁固5年。後年このときの体験を「獄中記」に書いた。たいへん珍しい内容らしいです。
2・26事件って旭川とはまるで遠い話だと思っていたのに、当事者がいたとは驚きです。例の、この事件に取材した小熊の記事も気になりますね。
木野工のコーナー。「冬涛」編集委員。かつて、金星町の方に中島遊郭があった。彼は遊郭内にあった料理店で育ったので、そこを題材に作品を書いている。「襤褸」はぼろ切れのように亡くなった遊女の話。本とともに当時の遊郭付近の地図も展示されています。
ここで私は再び『泥流地帯』の福子に思いを重ねました。この研修の後、那須敦志氏の文学講座を拝聴する機会を得て昭和初期当時のことを知り、三浦本を調べ直して思ったのですが、福子の物語には綾子の育った環境が相当色濃く反映されているようです。
三浦綾子はその自伝的著『草のうた』の中で、小学生時代に牛乳配達をしながら不思議な二階建ての家に目をとめ、後にそこが遊郭という所だと知った、という内容を記述しています。
「この界隈は、私の家の裏手の橋(昔の永隆橋)を渡ると、すぐのところにあった」
堀田家は9条12丁目にあったから、なるほど相当近いです。
また、同作品の中で、4条11丁目の仲通りを歩いていて佐野文子の家を知り、彼女に関心を持つようになったという内容の記述もあります。
三浦作品の中にたびたび家族のために遊郭に売られた女性や廃娼運動に尽くす人物が登場するのは、こうした少女時代からの関心が背景にあったためなのではないでしょうか。
第1展示室には、まだまだ三好文夫、知里幸恵、藤田旭山、安部公房などなど有名作家の展示が連なります。そして、我らが三浦綾子も、さらに三浦文学館初代館長高野斗志美と続きます。なんと高野館長が「オレストの自由」で新日本文学賞を受賞して評論家デビューしたのは1964年のこと。三浦綾子が「氷点」朝日新聞懸賞小説一位入選作家デビューしたのと同じ年! 高野先生の旭川大学研究室での颯爽としたお姿や特徴ある角張った字体を見て私はニンマリしつつ、2階展示室をあとにしました。
学芸員さんのお話の後30分ほど自由時間があったのですが、私は一人ずつじっくり見ているうちに1階の展示室を見る時間がなくなりました。企画展示室は「岡田勝美と『旭川のふだん記』展」でした。(すみません。また来館させてください。)
集合後は公園内にある詩碑を沓澤さんが説明してくださいました。資料館裏には小熊秀雄と今野大力の詩碑がありました。まだ他の碑も見る予定だったのですが、ランチの予約時間が迫っているということで、これで終わりになりました。
ご多忙中にも関わらず丁寧にご解説してくださった沓澤様に心より感謝の意を表します。
ランチ会場はアートホテルMINORI。15階からの展望を楽しみつつ地元の食材を生かした料理の美味に舌鼓を打ちました。
研修はこれで終了。半日の見学でしたが、スタッフ様のご尽力で大いに稔りある研修となりました。ありがとうございました。


さて、後日談。
三浦綾子文学館では今年度「旭川郷土史を学ぶ」というテーマで文学講座を行っております。
6月6日土曜日、那須敦志氏を講師に迎え第1講座「魅力いっぱい!(綾子さんも過ごした)旭川文化史のゴールデンエイジ」が開催されました。
大正末から昭和初めにかけて旭川に詩人小熊秀雄、画家高橋北修、社会活動家佐野文子など若き才能が多数集まった時期があった ; 那須氏はそれをゴールデンエイジと呼びました。まさに私たちが研修で興味を持ったばかりの話題。この旭川にも時代のど真ん中を駆け抜けた人たちがいたのですね。幕末の志士みたいに。
おかげさまで、貧しくともいかに熱くエネルギッシュな時代だったかがわかりました。時期的には三浦綾子の幼少期・少女期を素材にした自伝的小説『草のうた』の時代。お話を聞くと、この時代の文学者・著名人たちや時代の気風と三浦作品にいろいろ接点があることがわかりました。これまで茫洋と思い描いていた『草のうた』の時代背景。今それが次第に鮮明になるにつれ、幼い綾子が生き生きと立ち上がってきたように感じています。
参考:※ 『いま、小熊秀雄・今野大力』 小熊秀雄賞市民実行委員会 編集・発行
『泥流地帯』新潮文
『母』角川文庫
『銃口』小学館文庫
『草のうた』角川文庫


