ここ数年、落語や講談を聴くことが趣味になっています。北海道は常設寄席がないので、噺家さんを間近で見る機会は少ないのですが、それでも、近年ありがたいことに、落語会や講談・浪曲の会の開催が増えてきました。
上方落語の情報も、以前よりは増えてきているようです。そんな中、三代目桂花團治さんが挑戦している「伝戦落語」=次の世代に戦争を伝えるための落語、という言葉に惹かれました。
三代目桂花團治さんは、1962年、大阪生まれ。大阪芸大を中退後、二代目の故・桂春蝶さんに入門したそうです。(公式HP https://hanadanji.net/)
以下、(株)システムブレーンのHP記事「戦後80年 どう戦争の記憶を後世に繋ぐか 伝戦落語に込めた平和への願い」より、適宜引用したいと思います。
花團治さんの先代・二代目桂花團治は、襲名した翌年の1945年6月15日、大阪大空襲のため、防空壕の近くで47歳で亡くなったそうです。「大阪大空襲」といえば、現在、分館で開催中のミニ展示「同時代を生きた作家—田辺聖子と三浦綾子」の田辺聖子の戦中日記にも生家焼失が記録されています。
その先代の想い、無念さを後世に伝えていこうと、花團治さんは、「伝戦落語」の創作を始めたそうです。
これまでに3つの創作落語があり、1つ目は、「防空壕」(亡くなった先代が題材)、2つ目は、「伝鐘」、3つ目は、「じぃじの桜」(空襲で多くの命が奪われた場所に植樹された桜のが題材)。
今、4作目を創作中で、戦時中に殺処分された動物園の動物たちが題材になっているそうです。
記事の中で、下記の部分が、三浦綾子の小説にもあてはまるようで注目しました。
花團治さんの伝戦落語では、戦場ではなく日本で暮らしていた人々の暮らし、いわゆる「銃後の暮らし」に焦点を当てています。これまで平穏な日常を送っていた人々が、突如として戦争に巻き込まれていく様子を描き出しています。
そして、この伝戦落語には、鎮魂の思いが込められた「能」の要素が取り入れられています。物語の最後には、登場人物の魂が解放され、明るい未来への希望が見える構成となっていて、平和への強い願いが込められています。(略)
https://www.sbrain.co.jp/cc/koushi-column/pub-column/43570
そして、次の内容にも深く考えさせられました。
花團治さんの落語には、日本は被害者であると同時に加害者でもあるという視点が盛り込まれています。「戦争を始めるということは、加害者にも被害者にもなり得るということ、勝敗に関わらず、多くの犠牲者が出てしまう」という戦争の本質を伝えています。(以下略)
https://www.sbrain.co.jp/cc/koushi-column/pub-column/43570
三浦綾子の『青い棘』『銃口』では日本軍の加害についても触れられていますが、「戦争を始めるということは、加害者にも被害者にもなり得る」という、もう一歩踏み込んだ部分への意識も若い読者に伝えたいものと感じます。
「戦争文学」という呼称は一般的ですが、三浦文学のいくつかを、「伝戦小説/伝戦文学」という位置づけで意識すると、戦後80年以降の読者に、新たな読みの可能性を与えられるかもしれません。 そしていつか、三代目桂花團治さんの「伝戦落語」も間近で聴いてみたいですね。

