2021年9月のこのブログで、「田辺聖子の戦時下日記」と題して、「十八歳の日の記録」(「文藝春秋」2021年7月特別号)のことをご紹介しました。
その後、単行本『田辺聖子 十八歳の日の記録』(文藝春秋、2021年12月)として刊行され話題を集めましたが、三浦綾子より6歳下にあたる田辺聖子(1928~2019年)について、来月から当文学館の分館で小さな企画展示を行います。「同時代を生きた作家─田辺聖子と三浦綾子─」(6月13日(金)〜2026年3月20日(金・祝)まで)、展示に向けてさまざまな準備をしているところですが、田辺聖子が「私の昭和」を描いた『おかあさん疲れたよ』(上・下 講談社、1992年→現在は講談社文庫)は、とても読みごたえがありました。
『おかあさん疲れたよ』は、1991年3月21日から1992年5月24日に読売新聞で418回連載された長編小説で、学徒勤労動員や、終戦前日(1945年8月14日)の空襲を逃げ延びた男女の長い交友が描かれています。
三浦綾子の長編『銃口』も、小学館「本の窓」で1990年1月号から1993年8月号まで連載され、掲載時期が重なっていたことに縁を感じます。〈戦中派〉の2人は、奇しくも近い時期に、作家として昭和を総括したのでしょう。
『おかあさん疲れたよ』と『銃口』の共通点の1つは、軍国歌謡など歌の歌詞が折々挿入されていることです。
『おかあさん疲れたよ』では、1945年から歌われた勤労動員学生の歌「ああ紅の血は燃ゆる」はじめ、軍国歌謡や、戦後の歌謡曲の歌詞も多く引用されています。中でも、動員された工場で女学生が歌った「花」(♪ 春のうららの 隅田川~/詞・武島羽衣)は、下巻のラスト近くでもたいへん印象的に登場しています。
『銃口』でも、「露営の歌」や「紀元二千六百年の歌」はじめ、童謡や軍国歌謡の歌詞などが要所要所に登場し、全体で42曲が引用されています。〈昭和〉は、歌とともに総括され、そして鎮魂曲につながったということなのでしょうか──。
『おかあさん疲れたよ』は、2組の男女の話が代わる代わる語られ、しかも複雑に交錯するのですが、1組は、終戦前日の空襲でB29の爆撃の中を逃げ延びた、浅尾昭吾と倉本あぐりの〈空襲メイト〉。もう1組は、浅尾昭吾の年若い妻で作家の美未と、その読者で京都の青年・桐原無敵。
さまざまな話題が盛り込まれていますが、下巻の中ごろで引用された京都・常寂光寺に建立されている「女の碑」の文面を、終戦80年の今、みなさまと共有したいと思います。
1930年代に端を発した第二次世界大戦には、2百万にのぼる若者が戦場で生命を失いました。その陰にあって、それらの若者たちと結ばれるはずであった多くの女性が、独身のまま自立の道を生きることになりました。その数は50万余ともいわれます。女性のひとりだちには困難の多い当時の社会にあって、これらの女性たちは懸命に生きてきました。
今、ここに、ひとり生きた女の“あかし”を記し、戦争を二度と繰り返してはならない戒めとして後世に伝えたいと切に希います。さらに、この碑が今後ひとり生きる女性たちへの語りかけの場ともなることを期待します。
この碑は、独身女性の連帯の組織である独身婦人連盟の会員が中心となって、常寂光寺の支援のもとに建立しました。碑文揮毫 参議院議員 市川房枝 1979年12月 女の碑の会
「戦争独身」という言葉を、恥ずかしながら私は初めて意識させられたように思います。田辺聖子の小説に登場する「ハイミス(high miss)」女性は、そもそもこの戦争独身女性とつながっており、ひいては、昭和の戦争を伝える“あかし”でもあったのですね。
引き続き読み返していきたいと思います。