【案内人ブログ】No.33(2019年12月)

岩手県からのお客様 方言で語り合う

※これは旭川岩手県人会の記念誌掲載の文章に、一部加筆したものです。

 ※綾コレカード(三浦文学案内人はそれぞれこのような自分のカードを持っています。文学館を見学される際は、ぜひ三浦文学案内人によるガイドを予約してくださいね。カードは案内する本人からもらえます)

数年前にたった一度、旭川岩手県人会に参加させて頂きました。再びお逢いできずにいます。そんな私にも、記念誌への参加を声かけしてくださり感謝します。

私は1981年(昭和56年)、現盛岡市(当時都南村)から結婚のため、深川市へ来ました。その後、2000年(平成12年)、旭川へ転居いたしました。結婚直後、実家の母と電話で話していると夫が傍に寄ってきて小さな声で「日本語で話しせ」と言われたものでした。
私は文学館でボランティアをさせていただいています。喫茶コーナーで「私さもコーヒーけで」とおっしゃった方がいました。すかさず、「岩手の方ですか?」と私が問い、「私、盛岡出身なんです」と。すると「旭川さも岩手から来てる人、いるんだぁ」と驚かれてしまいます。
方言は恥ずべきもの、他人との会話は標準語で!小学生の頃、教師にそんな風に教えられ、いつの間にか自分でもそれが正しく思われいつしか忘れた方言でした。
なのに最近、無性に聞きたくなるのです。しゃべりたくなるのです。ひっつみ(岩手や青森の南部に伝わる具だくさんの汁で、小麦粉の生地を引っ張ってちぎることから「ひっつみ」と呼ばれる)やあずきばっと(「ばっと(はっと)」はすいとんのこと)を食べたくなり、きのこがずっぱり(沢山)入った芋の子汁や黄色の食用菊の酢の物や天ぷらが懐かしい……。
岩手県出身のみな様、たまには岩手弁使ってしゃべってみねっか?

三浦綾子さんの作品に上富良野を舞台にした『泥流地帯』『続泥流地帯』というのがあります。北海道新聞日曜版に1978年(昭和53年)に連載されたそうですから、中にはお読みの方々もおられると思います。
大正15年5月24日、十勝岳爆発で起きた泥流に144人の方々が流され、30年以上かけて開拓した畑や田園が硫黄を含んだ泥で覆われてしまいます。
小説の主人公達は、綾子さんの夫光世氏をモデルにしたフィクションですが、『続泥流地帯』の中でこう言っている場面があります。

「自分たちのふるさとを胸に焼きつけておくということは、人間として大事なことなんだ。君たちはいつの日か、この村を離れて、ほかの町に住むようになるかも知れない。しかし、そこに楽しいことが待っているとは限らない」
「いや、つらい目に会ったり、苦しい目に会ったりすることが、多いかもしれない。そんな時にな、ふっとこの広大な景色を思い浮かべて、勇気づけられるかも知れないんだ。人間はな、景色でも友達でも、懐かしいものを持っていなければならん。懐しさで一杯のものを持っていると、人間はそう簡単には堕落しないものなんだ」

旭川岩手県人会の集まりが、この懐かしいものを大事にしてきたからこそ、120年も続いてきたと思います。これからも続くように祈っています。
By 三浦文学案内人 村椿洋子

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