【案内人ブログ】No.56 映画『われ弱ければ』を観て 記:三浦隆一

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綾子さんがこの小説を書いたのは、作家デビューから20年以上が経ち、全集の企画が持ち上がってきた頃のことだった。それまで一連のクリスチャンを題材とした伝記小説を書いてきた綾子さんは、矢島楫子を書くにあたっては、これまで書いてきたような方法では、とても間に合わないと感じた。そのことを綾子さんは次の「おわりに」のところで次のように書いている。

ところでわたしはいったいなにを書いたのだろうか。(略)ただ私は、矢嶋楫子なる人物を伝えたかった。誰かが、小説には一定の作法はない、どんな書き方でもかまわない、と書いていたのを思い出しながら、私はこの小説とも評伝とも伝記ともつかぬ、奇妙なものを書いてきた。楫子を伝えたい一心で。

(『われ弱ければ』「おわりに」)

男尊女卑の風潮の根強かった明治の世で、いくらクリスチャンになる前だったとはいえ、40歳を過ぎた教育者である楫子が、妻子ある男と通じて子供まで産んだ。しかも一切を世間に公表するどころか、妊娠が目立たない体であるのをいいことに隠し通したのである。この驚愕すべき事実を前にして誰もが言葉を失う。
映画の中で明治政府の廃刀令に対して不満をもらす士族が描かれているが、熊本という土地が持つ保守性は、明治9年に「神風連の乱」を起こすほどのものだった。酒乱が狂気にまで達する夫に女の方から離縁を申し渡した。楫子は3人の子供を姉たちに預けて熊本を後にし、東京へ向かうのであるが、どんなにか断腸の思いだったことだろう。
矢嶋家の縁者には名を上げた人が幾人かいた。楫子のすぐ上の姉で矢嶋家五女つせ子が嫁いだ先は幕末の政治家・思想家の横井小楠で、その長女は後にキリスト教の伝道者で同志社総長となる海老名弾正に嫁いだ。矢嶋家三女の竹崎順子は熊本女学校を設立した。矢嶋家四女の久子は徳富家に嫁ぎその息子が徳富蘇峰・蘆花の兄弟であることは有名である。
小説では、楫子の甥の徳冨蘆花が、「楫子が不義の子を産み隠し通していること」を糾弾する場面が描かれているが、楫子の名声に心平らかならざるものがあったのかもしれない。ここでその楫子の名声についても触れたいと思う。

映画で、遊郭から逃げこむ少女たちをかくまい、追いかける牛太郎(遊郭の客引き)たちと対峙する婦人矯風会の話が出てくる。これより時代は少し後のことになるが、旭川には同じような境遇の少女たちを助ける佐野文子がいた。もしあの時、矯風会が生まれなければ、日本婦人はどんなにみじめであったろうかと思う、と綾子さんは書く。明治19年、キリスト教婦人矯風会は創立された。この会の会頭としての楫子はめざましいものがあった。もちろん、天下に名だたるミッションスクール女子学院の創立者としての名声はすでにあったわけだが、そのことに加え、会頭としての楫子は、半生の体験、不屈不撓の勝気、戦闘好きの上に綿密周到な事務的才幹、それに米英外国の後援を背景にして、時代と共に矢嶋楫子はどんどん頭をもたげ、新しい女の先駆、社会的婦人の第一人者として押しも押されぬ存在となっていたのである。

そうであるならば、何故『われ弱ければ』という題名がつけられたのかだが、綾子さんはこのことについて次のように書く。

楫子はどちらかといえば、情的な女性であるより、理性的な人間だと人に思われ、自分でもそう信じてきた。そしてまた誰の目にも楫子は道を踏み外すような無遠慮な女ではなく、常に自己を制して生き得る人間のはずだった。その楫子が妻子ある人の子を産んだ。教師であること、世間の口が恐ろしいことなどは、なんのブレーキにもならなかった。

(人間は弱い!)

楫子は身にしみてそう思ったにちがいない。そしてまた、人間はどれほどの規則があろうと、定めがあろうと、いざという時なんの役にも立たぬものであることを、楫子自ら、身にしみて思ったにちがいない。

(『われ弱ければ』「終わりに」)

私は、誰が取り組んでも難しいだろうこのテーマに、よくぞ綾子さんは取り組んだという気がするのである。
90歳にして映画制作に挑戦し続ける山田火砂子氏は、どんな思いでこの『われ弱ければ』を選んだのだろう。
映画『われ弱ければ』は、今年1月に熊本で完成披露の試写会が行われた。その席で山田氏は、「軍国主義下で小学校教師をしていた三浦綾子さんは『矢嶋楫子のことを知っていたら自分の人生も大きく変わっていたかもしれない』と書いた。みんなで良い社会にしたい」と述べた。この山田監督の表明に共感しない人は、私達案内人の中には一人もいないはずだ。
この映画で矢島楫子を演じた常盤貴子さんについても触れておきたい。邦画を観て、これほど感動したのは、久しぶりの経験だった。彼女の熱演があったからこそであろう。今後の活躍を期待したい。この映画は、私達案内人にとっても、綾子さんの主要な著作のひとつを改めて読み直してみる、貴重な機会を与えてくれた。そのことについても感謝したい。

by 三浦文学案内人 三浦隆一

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