『塩狩峠』50年 「三浦文学でまちおこし」(2)

「塩狩峠50年」上富良野 後藤純男美術館で

「塩狩峠50年」上富良野 後藤純男美術館で

「塩狩峠50年」冬に塩狩峠駅を訪れるのはほとんどないのだが

「塩狩峠50年」冬に塩狩峠駅を訪れるのはほとんどないのだが

「塩狩峠50年」名寄方面からのJR列車が。『塩狩峠』50年の第1回の打ち合わせの、偶然を感じたひとコマ。

「塩狩峠50年」名寄方面からのJR列車が。『塩狩峠』50年の第1回の打ち合わせの、偶然を感じたひとコマ。

「塩狩峠50年」対をなす塩狩峠記念館の古家と赤い屋根の玩具のようなヒュッテ。一面に真っ白な雪のうえに、ドラマが生まれそう……。

「塩狩峠50年」対をなす塩狩峠記念館の古家と赤い屋根の玩具のようなヒュッテ。一面に真っ白な雪のうえに、ドラマが生まれそう……。

 12月16日。『塩狩峠』50年記念事業の打ち合わせのため、塩狩峠へ向かった。前夜の雨で気温の一段と低い峠は、「スケートリンク状態にある」ことを恐れていた。が、杞憂。三浦綾子「塩狩記念館」の横に3年前につくられたおもちゃ箱のような可愛らしい色とつくりの「塩狩ヒュッテ」が打合せ場所だ。
 3年前に和寒町にUターンをしてヒュッテを新築、経営をしながら地元新聞の記者やまちづくり活動に精力的な合田俊幸さんらが待ちかまえている。彼らはすでに数年前から、『塩狩峠』にかかわるイベントをやっていて、「50年」にかける思いと情熱は溢れんばかり。今回の事業でも中心的な役割を果たしてくれるという。とても心強い。
 『塩狩峠』の事業の一つ、フットパスの話になった。一つの案が持ち上がった。
「旧国道」(現在は和寒町所有地)を活用しては、というのである。JR蘭留駅から塩狩峠駅までの国道を想定していた私には、意外であった。
おもしろいかもしれない。
 
 12月17日。続いて上富良野町。小高い丘の上にある日本画家の大御所後藤純男の美術館へ。レストラン。窓下に広がるパッチワークが、魚眼レンズで見るように広がる。十勝岳を少しのけぞりながら仰ぎみる美しい街、上富良野町が一望できる場所である。
 毎年全国から参加者を募ってフットパスのイベントをしている佐川泰正さん。NPO法人野山人の代表。町の商工会長でもある。美術館の案内カリスマ小野寿樹さんも加わる。
 綾子さんは『泥流地帯』の取材で溶岩が流れ出た頂上付近にまで登って"爆発"を体感した。開拓の沢にあって幼い子供たちが11人も亡くなった学校跡地も。これら災害の犠牲と苦難、復興への希望をつなぎ歩く「泥流地帯の道」。
これから佐川さんら事業実行委員会で道づくりを進め、来年春に爆発90年の道を歩く。そして、歩き終わった夜には……。
『泥流地帯』の朗読を楽しもう、というのである。
 
(文責:松本道男)
 

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