【案内人ブログ】No.55「プリズム―ひかりと愛といのちのかがやき」展を観て 記:森敏雄

事務局ブログ

三浦文学案内人の1期生・森敏雄です。案内人活動もいよいよ10年目を迎えました。初心を忘れず日々精進を重ねていく所存です。
4月25日(月)、三浦綾子さんは生誕100年を迎えます。これを記念し、三浦綾子記念文学館では2階第4展示室及び回廊において、標記特別展を開催しております。会期は来年3月21日までです。マスコミ関係では、4月1日北海道新聞“綾子さんの詩初公開”記事、4月2日北海道新聞“生涯多様な資料で紹介”記事、4月6日朝日新聞“三浦綾子 夫に捧げる詩公開”記事などが掲載されました。また、4月2日には10:55NHKラジオ第一でイベント案内の放送があり、同じく18:45NHK総合テレビ「北海道645」でイベントのスタートの様子が放映されました。このように新聞やラジオ、テレビで「三浦綾子生誕100年」を知った人々は、全道・全国に沢山おられることと思います。
なお、3月26日(土)から始まった三浦文学館と北海道新聞創業80周年共同プロジェクト、田中綾館長の小説『あたたかき日光ひかげ―光世日記より』は、毎週土曜日に1年かけて三浦綾子・光世夫妻の魅力を熱く語ってくれることでしょう。今後の展開が楽しみです。

さて、この企画展は旭川が誇る「三浦綾子」を、①作家 ②闘病 ③女性 ④信仰 ⑤平和、という5つの視点で深掘り(解説)しております。展示されたパネルや資料の中で、私が特に興味をひかれたのは、次のことがらです。
□三浦光世に捧げる詩…光は個体になるのか。光が声になるのか。あなたは真実な夫。
□『氷点』応募原稿…(書き出し)風は全くない。松林の影が地に黒く短かかった。
□前川正氏の遺書…綾子あて。誠実な友情に感謝!1954年2月12日記す。
□綾子日記(1967~1980)…オルガンが下手?手書きのイラストを交えて。
□オリーブ通信1号が創刊…婦人文化団体「オリーブの会」(三浦綾子会長)発足。
□綾子の絵7点…日本画家小浜亀角に師事。処女作「柿」。『自我の構図』で活きる。
□独身時代に書き記した遺言…縦書きで、左から右へ流れる。キリスト教葬を願う。

2階回廊には、北海道地図をバックにした「三浦綾子が描いた北海道」コーナーがある。旭川及び札幌を舞台にした小説・エッセイは共に30編近くあり、『氷点』『続氷点』『天北原野』『逃亡』には、「樺太」が登場する。また、歴代館長の紹介や「三浦綾子」を論じた学者、研究者などのコーナーもあり、ファン必見の見どころとなっている。

展示されたパネルには、心に残る言葉が羅列され、「三浦綾子」の生涯が見事に総括されている。“プリズムに例えるならば、映し出される光はどれも綾子が真実に生きた姿であろう”“綾子の描くモノには、いのちが宿っている。その躍動感や生命感は、大地に根を下ろして歩んだ綾子の生き方から生ずるものだ”“三浦綾子は寄り添う人だった。光世と共にひたすら寄り添った”“生きることに真摯であった綾子は、どんな命をも愛し寄り添った”~実に見応えのある素晴らしい展示の数々である。
三浦綾子は中央文壇や出版業界から上京して活躍しないかと、何度も誘われたと聞くが、その都度ていねいに断った。その判断は賢明であったと思うのだ。春夏秋冬、四季の移ろいがあって、わたくし“三浦綾子”が存在する。北国での生活、それがわたくしの原点。達観であり、見事な生きざまであった。旭川で生まれた井上靖は、自分がずっと旭川に住んでいたら、作風は違ったものになっただろうという趣旨のことを、何かの書物で読んだことがある。作家にとって、どこに生まれ、どこに育ち、どう生きたかということは実に重要な問題に違いない。

現下ロシアのウクライナ侵攻問題、三浦文学館はHPでいち早く(英訳)反対声明を発表した。「……いかなる人間にも、人間を殺す権利はなく、殺せと命令する権利もない……人間の命を奪ってはならない……」至言である。正論である。「平和」は何よりも尊い。「平和」あっての文学である。三浦綾子文学を次代の若者に、しっかりと語り継いでいきたいと思う次第である。

by三浦文学案内人 森敏雄

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