【案内人ブログ】No.64 外国樹種見本林に思う 記:三浦隆一

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見本林堤防そばのハルニレ(向かって右側、2021年6月13日撮影)

三浦文学館は外国樹種見本林の中にあるが、私の好きな樹高20mにも達する「ハルニレ」の木があるところが、私のお気に入りの場所だ。

ヨーロッパのハルニレはエルムと呼ばれて樹高45mにもなり、画家ジョン・コスタブルの「ソールズベリー大聖堂の南西からの眺め」など、イギリスの象徴的な風景画として描かれていた。しかし、イギリスやヨーロッパ大陸に今はそういう風景はない。アジア起源の菌類であるニレ立枯病(オランダニルム病)が、1910年頃から伝搬しはじめたのだった。初期の頃は何とか持ちこたえていたが、1967年から1977年に及ぶ10年間でイギリスだけで2500万本もの木が枯れたのだと、イギリスのマルハナバチ研究家であり、生態学者であるデイブ・グールソンが『サイレント・アース』で書いている。

現在、世界で大きな課題とされているのが、持続可能(サスティナブル)な社会とか、生物多様性(バイオダイバーシティ)のある社会といったところだ。レイチェル・カーソンが『沈黙の春』を書いて人間がひどく地球を傷つけていると警鐘を鳴らしたのは、1960年代前半のことだった。あれから60年以上経つが、事態はより悪化し、深刻さを増しているといっていい。いまや世界中で毎年300万トンもの農薬が環境中に流出していると推定されている。こうした農薬の中には、カーソンの時代に存在していたあらゆる農薬より昆虫にとって何千倍も毒性の強いものがある。
土壌は劣化し、河川は泥に埋もれ、化学物質に汚染されてきた。そして、カーソンの時代には認識されていなかった気候変動が、すでに傷ついた地球にさらに脅威をもたらしている。私たちの生活に昆虫は欠かせない。様々な目的で人間は昆虫を必要としている。鳥や魚、カエルといった、多くの動物は昆虫を食べている。野性の花は昆虫がいないと受粉できない。昆虫が減っていくにつれて、私たち世界は徐々に動きを止めていく。世界は昆虫なしではなり立たないのだと、グールソンは悲痛な叫びをあげる。

私たちの出口はあるのだろうか。グールソンの住むイギリスでは、最近の選挙やEU離脱の討論で環境に関する本格的な議論というのはほとんどなかったと彼は言う。「21世紀の人類が直面する最重要課題の多くは、地球の限りある資源を浪費している人間の活動に関連しているにもかかわらずだ」とグールソンは嘆く。日本でも現状は似たようなものだろう。
ところで、私は綾子さんとは関係のない話をしているだろうか。文学館の建つ見本林に植えられている、ストローブ松やトウヒ類といった木は、ヨーロッパ北部からシベリア、北アメリカ大陸の北部といった広大な地域に分布している。

『サイレント・アース』に話を戻す。グールソンは主張する。「問題だらけの食料供給システムを大胆に変革して、食品廃棄と肉の消費を減らせれば、生産性の低い広大な土地を自然に返すことができる。」「自然の力を借りて体によい食料を生産することに力を入れて、本当に持続可能な農業システムを開発しなければならない。」と。そして、次のように未来を思い描くのである。

都市や町に緑があふれ至るところで野花が咲き乱れ、果樹が花や実をつけ、建物の屋根や壁が緑に覆われている未来を。バッタの鳴き声や鳥のさえずり、マルハナバチのブーンという羽音、カラフルなチョウの翅に囲まれて育った未来の子どもたちの姿を。

デイブ・グールソン『サイレント・アース』

羽音といえば、綾子さんの短編に『羽音』という小説がある。この作品は、「ある男が妻と気持ちがすれ違ってしまい、部下の女性と浮気をしようとしていたが、羽音が聞こえたので浮気を止めた」と解釈することができる。だが、虫の羽音が聞こえることに鋭敏になるほどに綾子さんとはセンシティブな作家だったのだという見方もできるのではないか。
私は鋭敏とまではいかなくても、この居心地のよい外国樹種見本林を散策しながら、環境問題が深刻化していくことに強い危惧を抱かずにはいられないのである。

by三浦文学案内人 三浦隆一

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