三浦綾子文学や、この文学館についてよく寄せられるご質問にお返事するコーナーです。
ご質問
三浦綾子さんには、別のペンネームがあったと聞いたのですが、本当ですか?
レイ(ボランティアガイド)
はい、ありました。『氷点』入選前に、手記を応募したときのものです。
三浦綾子はデビュー前の1961(昭和36)年、雑誌「主婦の友」の募集企画“婦人の書いた実話”に、手記「太陽は再び没せず」という手記を応募しました。このときの筆名が“林田律子”です。この手記は見事当選し、同誌の1962(昭和37)年1月号に掲載されました。
その後、『氷点』でデビューした三浦綾子は、この手記をベースに同誌で1966(昭和41)年1月号〜1968(昭和43)年12月号にかけて小説を連載しました。これが自伝小説『道ありき』です。
「太陽は再び没せず」は、作品単体では出版されていませんが、主婦の友社が刊行した「三浦綾子全集」第15巻(1991年9月)に収録されました。
ペンネーム“林田律子”は、この手記以外で使用されることはなく、『氷点』以降、他のペンネームでの執筆も確認されていません。生涯一度きりのペンネームとなったようです。