話題の映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』(蜷川実花監督、小栗旬主演)を観てきました。太宰治の生誕110周年を機に映画化されたそうですが、3人の女性たちを演じた、宮沢りえさん、沢尻エリカさん、二階堂ふみさん、それぞれに存在感があり、“女優魂”なるものを感じさせられました。
三浦綾子の、とくに初期作品には、太宰治の名前がいくつも登場しています。
印象的なところでは、高校生サチコの日記体で書かれた「雨はあした晴れるだろう」(初出1966年)の前半部分。よく知られた「生れて、すみません」(太宰治「二十世紀旗手」)にふれた箇所があります。
太宰治はどうして自殺したのだろう。
生マレテキテスミマセン
こんな悲しいことばを知った人は、死ぬよりしかたがなかったのだろうか。太宰治は必死になって生きていた。わたしはそれがわかるような気がする。
わたしもまた、必死になって生きてゆきたい。しかし、生きるっていったいなんなのだろう。
(略)
人生って、恋だけのためにあるんじゃないって、ハッと気づく日がくるのではないだろうか。
それでもいい。ハッと気づく日がきたら、また、その日から生き直せばいい。
『雨はあした晴れるだろう』北海道新聞社、p22~23
太宰治の苦悩の選択にふれなから、多感なサチコに、生きることの意味を自問させ、生き続けることの重みを発見させたくだりです。少女らしい潔癖さと、ひたむきさもうかがえますね。
かぞえると、三浦綾子は、太宰治より13歳年下。そんな綾子の読書体験にも思いを馳せながら、秋の夜長の読書もお楽しみください。
田中 綾