【案内人ブログ】No.31(2019年10月)

ナナカマドの街に住んで

日々、ナナカマドの紅葉が進み、冬も間近に迫る季節となって来た。6月に白い花をつけたナナカマドは夏も過ぎた頃から薄いオレンジ色の実となっていく。当初はオレンジ色だが、だんだんと赤みを増して、9月の下旬頃に、最初はナナカマドの木の先端の部分から、気温が夜間にガクンと下がった時に一気に赤くなるといった具合に、木の中心部へ向けて紅葉は進む。
その年により、若干のズレはあるが、だいたい10月の中旬に紅葉が頂点に達したと思った時に、今度は木枯らしが吹いて葉っぱは落ち始める。そのようにして、井上靖の描いた「ナナカマドの赤い実のランプ」という状態が出現してくる。ナナカマドの実に雪が積もった時の美しさは詩によく詠われるが、その状態の時は、まだ鳥はナナカマドの実を食べない。ナナカマドの実を好んで食べる鳥としては、遠くシベリアから飛来するキレンジャクが有名だが、厳しい冬を乗り越えようとする鳥たちの多くはナナカマドの実を食べる。
カラスもナナカマドの実を食べるが、いつ頃ナナカマドの実を食べるのかと観察をしていると、だいたい3月の下旬頃である。おそらく、真冬の頃には実は固く渋くてとても食べられず、春の兆しが訪れたと思った時に、ようやく食べられるようになるのだと思われる。その頃は他に食べるものもなくなっているので、しょうがなく食べているようにも見える。そして、葉っぱが全て落ちた木にあれほどナナカマドの赤い実が鈴なりになっていた、その赤い実がある日、忽然と姿を消す。
鳥たちが、あの赤い実を食べることによって、次の春に芽出しをする準備を助けているのである。それも春が訪れる絶妙なタイミングをもって。ナナカマドの木の紅葉は大変に美しいが、その美しさの裏には、このように自然界のドラマが隠されている。私はそのようなナナカマドを旭川市の街路樹として採用した先人の見識に敬意を表する。
三浦綾子さんが亡くなって今年で20年になるのだが、ナナカマドの紅葉が最も美しくなる時に亡くなったのは、単なる偶然なのか、と考える。まるでその次に来る木枯らしを予期していたかのように。
それはひょっとして神様がそのようにしたということなのだろうか。そうだとしたらそれは厚い信仰心に生きた綾子さんにふさわしい最期だったのだと言えるのではないだろうか。
昨年、JR旭川駅から南へとまっすぐ伸び、国道237号線を渡って文学館へと続く道が「三浦文学の道」として新しく整備された。その道路の街路樹としてナナカマドの樹が植えられたが、そのこともいわば当然のことのように思えてくるのである。文学館を訪れるお客様に「あれがナナカマドの木ですよ」と説明しやすくなったことを、大いに喜びたいと思うものである。

by 三浦文学案内人 三浦隆一

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