【館長ブログ「綾歌」】「あたたかき日光(ひかげ)」連載余話・その3――綾子の短歌をめぐるドラマ

「綾歌」館長ブログ

 北海道新聞に連載中の小説「あたたかき日光(ひかげ)――光世日記より」、おかげさまで順調に掲載され、3月にはいよいよ最終回を迎える予定です。

光世日記からの「新発見」も(ひそかに?)盛り込んでいるのですが、短歌にかかわる私にとって印象深かったのは、12日10日掲載分(38話)に引用した、綾子の未発表短歌という「発見」でした。

元婚約者の西中一郎さんをめぐる話ですが、綾子が結婚後も西中と家族ぐるみで交際していたことは、『命ある限り』(角川書店、1996年)に書かれています。

一九六八年十月六日の夜のこと。私は札幌月寒(つきさむ)教会に招かれて講演をしていた。(略)私は、太平洋戦争の傷手を受けて精神的な荒廃におちいっていた自分を苦々しく思いながら、二人の男性と同時に婚約した愚かさを語っていた。
と、ちょうどその時、左うしろのドアが開いて、一人の男性がひそやかに会場に入って来た。私は思わず「あっ」と声に出すところだった。何とそれは、私が同時に婚約した相手の一人、西中一郎氏であった。
(略)講演が終ると彼は近づいて来て、
「しばらくでした。ところで今夜、うちで食事をしてくれませんか。ワイフの店が焼肉をやっているんですよ」
と、こともなげに言う。全くこだわりもない言い方に、こちらの心も明るくなって、喜んでごちそうになることにした。

三浦綾子『命ある限り』p155~156

光世日記を見ると、その久々の再会の2年後=1970年に、西中が三浦家を訪問したことが書かれています。午後の2時間ほど、食事もしながら歓談し、光世は綾子に短歌を作らせました。

結婚以来、短歌を作る機会はほとんどなかった綾子ですが、なつかしさのせいでしょうか、ごく自然に一首が生まれたようです。

婚約者たりし吾がため煙草断ちし君二十余年後の今も煙草を喫まず

 光世日記では、この歌の後にひとこと「よい歌なり。」とだけ書かれているのですが、その行間に、どれほどのドラマがあったことか――。

「あたたかき日光」の本文では、その前後の三人の心の動きに想像をふくらませていますが、この一首だけで、ぐっと濃厚な短編小説が書けるはず。

みなさま、西中さんの「煙草断ち」をめぐる人間ドラマ、心のおもむくままに執筆してみませんか……?

田中綾


『命ある限り』は現在、角川文庫の電子書籍版、および小学館電子全集でお読みになれます。

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