私事ながら、このたび、単著としては3冊目にあたる『非国民文学論』(青弓社)を上梓いたしました。もともとは、2003年~2004年に雑誌「詩学」に連載した拙稿でしたので、十数年かけてようやく世に出た書籍ということになります。
目次は、以下の通りです。
第1部 非国民文学論
序 章 いのちの回復
第1章 〈国民〉を照射する生――ハンセン病療養者
第2章 〈幻視〉という生――明石海人
第3章 〈漂流〉という生――『詩集 三人』と『笹まくら』
終 章 パラドクシカルな〈国民〉
第2部 〈歌聖〉と〈女こども〉
第1章 明治天皇御製をめぐる一九四◯年前後(昭和十年代)
第2章 仕遂げて死なむ――金子文子と石川啄木
「非国民」という言葉は、文学作品では日清戦争後に使用例が見られますが、常に他称として存在したと思われます。特に昭和の十五年戦争下、その言葉は、国を挙げての戦争に協力的ではないと見なされた人々に向けられました。しかも、身体面がその基準の一つとなったのです。
そのため、兵役につくことのできない病者や、徴兵検査で「丙種」合格になった人々(召集をうけない第二国民兵)は、総力戦の時代には疎外されてしまいます。精神的には国に従順な民であっても、身体的には非国民と称される立場に置かれるという、逆説的な問題が生じてくるのです。
また、徴兵拒否を選んだ少数の成人男性もいましたが、かれらは身体面での自由を求めようとして、逆に、身体的な不自由さをみずから引き受けるという逆説的な立場に追い込まれました。
それらを、文学作品を引用しながら考察した拙著ですが、その中で触れなかった歴史的事実を、一つ、ご紹介しましょう。
かつての大日本帝国憲法第20条には、「日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役ノ義務ヲ有ス」とありました。ところが、昭和初年施行の兵役法第1条には、「帝国臣民タル男子ハ本法ノ定ムル所に依リ兵役ニ服ス」とあり、兵役を担うのは「帝国臣民タル男子」と限定されていたのです。
そのため、1926年から27年にかけての第52回帝国議会で、これら両条文についての質問と答弁が行われました。兵役義務を男性だけに限定するのは憲法違反ではないか、という質問に、苦しい答弁が記録されています。それに基づくと、憲法第20条にいう「日本臣民」とは男性だけということになり、兵役法は男女差別法であるということが、むしろ明らかになったのでした。
現在、新たな日本国憲法が施行され、兵役法は存在していません。けれども、こうした近代日本の過去の経緯を知っておくことは、私たちにも必要なものと考えています。
田中 綾