今、文学館2階第四展示室では、企画展「愛の短歌・夫婦生活40年 光世のまなざし、綾子の横顔」を開催中です(6月9日まで)。
今年は三浦綾子没後20年ですが、同時に、結婚60年にもあたる年です。お手洗い以外はいつも一緒(!)とも言われた光世・綾子夫妻ですが、そのような間近で、光世さんは、どのような綾子像を短歌で表現していたのでしょう。
展示では光世短歌14首をパネルで掲げ、私も「ワンポイント解説」をさせていただきました。堀田(三浦)綾子短歌とともに、光世短歌もこれまで繰り返し読んできたのですが、あらためて、新鮮な目で短歌を味わうことができました。
たとえば、出逢ってから結婚にいたるまでのこの一首。
・旅の終りの今朝吾が見たる夢淋し生きよと三度君に告げゐつ(1957年作品)
朝方の「夢」は、どんなに淋しい夢だったのでしょう。おそらく、「君」=綾子さんの健康状態が思わしくなく、悲痛な思いにかられ、「三度」も「生きよ」と強く告げたくなったのでしょう。短歌という詩形では、数字は重要なもので、目を引く言葉でもあります。この歌でも、「三」という数字の存在感が際立っています。
また、結婚して三浦商店を開き、忙しく立ち働いていたころの一首。
・今年最後の夕日です共に見ましゃうよ店に客絶えし間を妻の寄り来る(1962年作品)
光世さんの短歌には、綾子さんが話した言葉がそのまま詠み込まれたものもあり、その言葉が、実に生き生きと光っています。この歌でも、「共に見ましゃうよ」という、さりげない言葉が光っていますね。「今年最後の夕陽」の美しさを二人で共有したい、という願いが、臨場感をもって伝わってきます。
短歌は、五七五七七というとても短い詩型ですが、一冊の小説にもなりうるような小宇宙を秘めていることもあります。ぜひ、深く味わってみてください。
田中 綾