スマートフォンのアプリなどで、生成AIがより身近になってきました。無料のものでも、目的に応じた文章を生成したり、画像やデザインをほぼ瞬時に作成可能。そのスピードには、ただただ驚くばかりです。正直、相当の時間をかけて書評などを練ってきた人間としては、驚きを超えてプレッシャーにも感じるものでしょうか。
若い世代がよく言う「タイパ(タイムパフォーマンス)の良さ」で見ると、実に効率的であることは否めないでしょう。要約やレポートの下書きにも使えるほか、小説の下書きとしても使えるようなのですが、さて、実際はどうでしょう――
【実験】無料版の「ChatGPT」に、こういうプロンプト(生成の際の指示文)を入力してみました。
「三浦綾子の小説ふうの、1600字程度の小説を書いてもらえますか? 時代は1900年頃。場所は旭川市と、和寒町の塩狩峠。鉄道会社に勤めるキリスト教信者の男性・永野信夫が、乗客を守るために自らの命を犠牲にします。その内容を、永野信夫の婚約者であるふじ子という女性の視点で語る一人称小説」。
すると、ものの1秒も経たないうちに、
「了解しました。以下、三浦綾子の作風を意識しつつ、永野信夫の婚約者であるふじ子の視点で語る一人称小説をお届けします。」
という画面が出て、続いて下記の文章が現れました――
私は永野信夫を忘れることはないだろう。彼が命を賭けて私たちを守ってくれたあの日のことを、どれほど年月が経っても、どれほど歳を重ねても、私はその記憶を胸に抱きしめて生きていく。
それは、旭川市から和寒町へと続く鉄道が凍てついた塩狩峠を越えようとしていた冬の午後のことだった。あの日、信夫はいつもと変わらぬ笑顔を見せていたけれど、その笑顔の奥には、何かを決心したような強い目をしていた。私はその理由を知っていたけれど、今でもその時のことを思うと、胸が締めつけられるような痛みを感じる。
私たちが婚約をしてから、信夫は何度も話していた。「結婚したら、君と一緒に穏やかな日々を送るんだ。でも、僕の仕事は命がけだ。鉄道の仕事は、いつも何かの危険と隣り合わせだ。」それでも私は、彼が無事でいることを信じて疑わなかった。だが、まさかその言葉がこんなに早く現実のものとなるなんて。
あの日、私は彼の帰りを待ちながら、家の中で静かに時間を過ごしていた。信夫が鉄道員として働く姿は、いつも誇らしく感じていた。彼の信仰心もまた、私にとっては大きな支えだった。信夫は毎日、列車の安全を守るために尽力していたが、彼がそのために命をかける覚悟を決めていたことを、私は決して軽く考えたことはなかった。
その日、塩狩峠を越える列車に乗っていたのは、私だけでなく多くの乗客がいた。雪が降りしきる中、列車は峠を登り始め、やがて急なカーブを曲がりながら進んでいった。突然、列車が急停車し、乗客の間に動揺が広がった。車両が揺れ、何か異常が起きたことはすぐにわかった。信夫の姿が見当たらないことに私は不安を感じ始めていた。
その時、車両の外から見覚えのある姿が見えた。信夫だった。彼は列車の進行方向に立っていて、何かを必死に訴えかけているように見えた。私は窓を開けて、彼の声を聞こうとしたが、外の雪風で声はかき消されてしまった。しかし、その姿は確かに私を見ているように感じた。
その瞬間、私は彼の目を見て、信夫が何かをしていることに気づいた。それは、列車を守るために自らの命を賭けた行動だった。私は心の中で叫んだ。「信夫! 頼む、無事でいてくれ!」と。
信夫が見せた最後の微笑みが、今でも私の心に鮮明に残っている。それはまるで、私に「心配するな、必ず戻るから」と言っているような、温かい、力強い笑顔だった。だが、私が彼を見送ったその瞬間、彼はもう戻ってこなかった。
後日、私は信夫の同僚から聞かされた。列車が進行方向に進めなかった理由は、峠の手前で起きた雪崩だった。もし信夫がすぐに対応しなかったなら、列車ごと谷底に転落する危険があったという。彼は命をかけて、列車を安全な場所に止めるために、最前線で対応していた。乗客の命を守るために、彼は一歩も引かずにその場に立ち続け、最終的には雪崩に巻き込まれ、命を落としたのだ。
その知らせを受けたとき、私は涙をこぼしながら、信夫がどれほど自分の使命に忠実だったかを、改めて感じた。彼は信仰を胸に、愛する人々を守るために生き、そして死んでいった。
あれから何年も経った今でも、私は信夫を忘れることはない。彼が残してくれたもの、教えてくれたことは、私の生きる力となり、前へ進む勇気を与えてくれている。信夫は、確かに私の人生における大切な人だった。そして、彼が示してくれた愛と信仰の力を、私はこれからも忘れずに生きていく。
塩狩峠の雪の中で、信夫の姿は私の心に永遠に刻まれた。彼が守ってくれた命の重みを、私はこれからも胸に抱いて生きていく。
最後に、「いかがでしょうか?」というメッセージ画面も。
さて、よく読むと、「あの日、私は彼の帰りを待ちながら、家の中で静かに時間を過ごしていた」と、「私」は家の中にいるはずなのに、次のパラグラフでは「塩狩峠を越える列車に乗っていたのは、私だけでなく多くの乗客がいた。」と、「私」は「列車に乗っていた」という設定になっており、矛盾がありますね。
また、「私」の心内語である「信夫! 頼む、無事でいてくれ!」は、言葉遣いとして違和感があるでしょうか。
大雪の季節である2月に試したせいか、「永野信夫」が雪崩に巻き込まれるという真冬のシチュエーションになっている点は工夫がありそうですが、ともかく、これらの文章が瞬時にして作成されることに戸惑いも覚えます。
“タイパ第一”という世代が創作する場合、おそらく何らかのタイミングで生成AIを使用し、それを下地に、組み換えたり、味付けしたり、トッピングをして“自作“として仕上げていくのかもしれません。時代の流れを止めることはできませんが、創作の意味や愉しみをあらためて考えさせられます。