【館長ブログ「綾歌」】タラの煮付け、タラ鍋──北の冬の食卓から「平和」を想う

「綾歌」館長ブログ

北海道の冬の味覚でおすすめと言えば、白身魚では「タラ(鱈)」でしょうか。旬は12月から2月の厳寒期で、真だらの白子は天ぷらで味わったり、ポン酢で「たちポン」にしていただくのが“口福”でもあります。

三浦夫妻もタラが好きだったのでしょうか。光世が、タラ鍋を短歌に詠んだこともありました(下記)。三浦綾子の日記形式の著書『この病をも賜ものとして 生かされてある日々2』を読むと、こんな記述に出合います。1991年3月の記録で、当時はちょうど『銃口』の連載14回目「汚れた雪」の執筆が終わった頃でした。

〇月〇日
雪ふりしきる三月の夕べ。
鱈の煮付けにて食事。三浦上機嫌で、相馬御風の鱈の歌を口ずさむ。
   久しぶり夕餉肴に雪の日や鱈を煮付けて食ひにけるかも
序に、いつか詠んだ自分の歌も聞かせてくれる。
   限りなく泡立ちて鍋に鱈煮えをり春の霰の屋根打つ夕べ
夫婦二人っきりの、平和な夕食時なり。

『この病をも賜ものとして』(日本基督教団出版局、1994年)p190

外は雪景色ながら、家の中は暖房であたたかく、のどかな夕餉の記録に思われそうですが──実は、その後にこんな一文が続いているのです。

しかし湾岸戦争に命を失った人、肉親を失った人、重油に汚れた海、燃えつづける石油、それらを思えば心は重し。 

『この病をも賜ものとして』(日本基督教団出版局、1994年)p190

1990年8月、イラクがクウェートに侵攻したことに端を発し、多国籍軍がイラクに空爆を始めた湾岸戦争。1991年2月末に一応の終結となりましたが、民間人の犠牲者も多く報告されていました。夫婦二人きりの満ち足りた食卓でも、海の向こうの戦争被害に心をいためていたことがうかがえます。 あたたかな鍋を囲みつつ、未だ終わらない戦いや瓦礫の土地を想うこと。それは、日本の今の私たちにもできることかもしれません。

田中綾

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