「あたたかき日光(ひかげ)」連載余話・その1 ―光世さんはMayumiちゃん?

北海道新聞 2022年3月6日朝刊 連載開始を知らせる記事

ロシアによるウクライナ侵攻のニュースが続く中、小説「あたたかき日光(ひかげ)――光世日記より」の連載が、3月26日にスタートしました。北海道新聞創刊80周年と、三浦綾子生誕100年を記念した共同企画です。
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/661450?rct=series
今後約1年間、毎週土曜日に掲載されますが、その執筆の背景について、備忘録も兼ねて書きとめておきたいと思います。

三浦綾子生誕100年記念事業の1つ、「三浦光世日記プロジェクト」に着手したのは、2019年4月のことでした。日記研究のため、勤務校に特別な許可をいただき、約4ヶ月旭川に滞在して文学館に通ったのです。研究者としては、本当に至福の時間でした。
三浦光世が遺した日記は、1938年の14歳から、亡くなった2014年までの76年分、63冊です。2015年に文学館に遺贈され、書庫で保管されています。
日記の内容の一部は、『三浦綾子創作秘話』(『積木の箱』について)や、『夕映えの旅人』(1995年7月5日~1996年9月30日について)、『ごめんなさいといえる』(『氷点』執筆について)等で公開された部分もあります。けれども、プライベートな記述もあるため、学芸員と少数のスタッフのみが閲覧を許されています。

まず手にとったのは、綾子と出逢う前年の1954年と、綾子に出逢った1955年の日記でした。綾子との邂逅によって、光世の中にどのような変化があったのか――どきどきしながら読み進めました。
ペンで書かれた日記には、時々読み取りづらい文字や、固有名詞も出てきます。けれども、数冊眺めていると次第に人名や地名などがわかってきて、判読もラクになってきました。仕事で忙しいときは、週末に数日分をまとめて書く、という律儀さも伝わり、「光世さんって本当にマメで、誠実な人だなあ」と、感心することばかり。

ある程度判読ができるようになってから、文字起こしを始めました。パソコンを持ち込み、パタパタと入力。当時は判読間違いや入力ミスもあったのですが、さまざまな発見もありました。
さて、その成果をノベライズ(小説化)するには、さまざまな切り口があり、何パターンか構想を練ることが必要でした。私の場合は手書きではなく、パソコンでメモをしていくわけですが、発想が次々浮かぶのでタイプする手が追いつきません。
「ああ、こういうとき、光世さんのように口述筆記してくれる人がいたら・・・」
と切望したところ――いたのです、“Mayumiちゃん”が。

“Mayumiちゃん”と言っても、ヒトではなく、「Mayumiスマートマウス」というパソコン用のマウスです。話しかけると、その音声をタイピング(入力)してくれるので、まさに、口述筆記のパートナー。
さて、そんな“Mayumiちゃん”はビジネス定型文は得意ですが、残念ながら短歌や話し言葉の認識は苦手で、時々、驚くような変換ミスをします(!)。「きゃー、光世さんはそんな言葉使わないよ~」などと微苦笑しながら、楽しく構想を練っていきました。
最近は、変換がかなり正確なiphoneのメモ機能も使用していますが、当初は、“Mayumiちゃん”が“私の光世さん”だったのでした。

 この「余話」は、不定期に続けたいと考えています。小説の執筆、引き続き励んでまいりますので、どうぞご期待ください・・・!

田中 綾

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