新年のご挨拶を申し上げます。
昨年春から北海道新聞で連載中の「あたたかき日光(ひかげ) ―光世日記より」は、この3月に、いよいよ最終回を迎えます。
三浦光世が遺した日記63冊は、当文学館に収蔵されていますが、光世14歳の1938(昭和13)年から、最晩年90歳、2014年までの、76年にわたって書かれた貴重な日記です。
ところで、その貴重な日記の内容の一部は、三浦光世『三浦綾子創作秘話』や、『夕映えの旅人』、『ごめんなさいといえる』など、今すぐに読める文庫本/単行本に採録されていること、ご存じでしょうか。
まずは、『氷点』の執筆開始とその経緯、そして奇跡的な入選=作家デビューに至る1963~64年の日記ダイジェストをここに引用したいと思います。
1963年1月。綾子は、朝日新聞社一千万円懸賞小説募集の社告を見て『氷点』の執筆を始め、光世日記にはそのリアルな現場が書き記されています~
一九六三年一月九日
凡人にとって愚痴は不可避であるかもしれない。しかしその一◯分の一を感謝と自他への激励に振り向けることはそれほどむずかしいことではない筈だ。(中略)
綾子、数日前から長編に着手。努めて雑用をさせない事にする。協力、協力。
一九六三年一月一一月
夜、一一時まで仕事。綾子もせっせと書き進める。
何か上から言葉が与えられている感じがすると言う。
御名を恐れつつ、ハゲメ、ハゲメ。
一九六三年一月二二日
朝、綾子の小説の題、発案。
「氷点」綾子曰く「スバラシイ題デス。さすがはあなたです。」
昼休み、綾子より電話。(略)
一九六三年一二月五日
一日休む。午後、小説の浄書。何と急いでも一枚、七分はかかる。それでは九◯◯枚、年内に間に合わぬ。しかし、「主の山に備えあり」
午後、一時間と思った昼寝が半日となる。あや子と共に。
一九六三年一二月一七日
休暇をとり一日、四◯枚浄書。
よくぞ綾子書いたのう。いや~いや~いや~、書かせていただいたのだ。
忘れてはならんぞ。一一時半。
一九六三年一二月三一日
午前外出。小包を持って旭川本局へ。一二月三一日の消印二箇所。
注文通り鮮明に押捺してもらう。遂に我等の手から主の御手へ。主よ御名が崇められますように。
三浦綾子『ごめんなさいといえる』(小学館文庫、二◯一九年)より
光世の信頼と励ましが伝わる文面で、「書かせていただいたのだ」という部分も、深くしみいる言葉です。
日々の雑感であり、貴重な記録でもある日記。新年の計として、みなさんも今年から日記をつけてみませんか?
田中綾