『尾燈』( 三浦綾子小説作品 はじめの一歩 )

“はじめの一歩”とは?

三浦綾子の作品を〝書き出し〟でご紹介する読み物です。
気に入りましたら、ぜひ続きを手に入れてお読みください。出版社の紹介ページへのリンクを掲載していますので、そちらからご購入になれます。紙の本でも、電子書籍でも、お好きなスタイルでお楽しみくださいませ。物語との素敵な出会いがありますように。

三浦綾子記念文学館 館長 田中綾

小説『尾燈』について

小説宝石1975年5月
出版 … 『毒麦の季』光文社1978年10月
現行 … 『毒麦の季』小学館文庫・小学館電子全集
定年退職後の人生に確かな目的を持てない平川良三が、元の職場の部下や独立した息子の家庭を訪ねては、表面は歓待でも実は迷惑がられるという惨めさを味わう。不実さに満ち、確かなものの残らない人間世界の風刺画。

「一」

 台所で、雑煮のねぎでも刻んでいるのか、トントンと軽い音がする。平川ひらかわ良三りょうぞうは、茶の間のストーブのそばであぐらをかき、元旦の新聞を読んでいる。大柄な体だ。細い目だが、老眼鏡のせいで少し引き立っている。
 年にちなんでの特集がある。卯年の政治家、作家、芸能人たちに「今年の抱負」を語らせているのだ。どの顔写真も、大きな笑い声が聞こえそうな明るい笑顔だ。
(今年の抱負か)
 良三は胸の中でつぶやく。定年を過ぎて五年、民間会社に勤めながら、やっと五万の給料をもらっている自分には、もう抱負などという言葉は無縁のような気がする。月八万ほどの年金もあるから、生活はまあまあだが、とにかく「抱負」を持ち得ぬ人生であることを、良三は改めて知らされた気がした。
 妻の京子が、出来上がった雑煮の鍋を運んできて、食卓の上に置いた。
「うむ、うまそうだな」
 みつばの香りが漂った。
「さあ、美味しくできていたらよいけれど」
 暮れに、栗色に髪を染めた京子は、年より四つ五つ若返って見える。

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