【館長ブログ「綾歌」】田辺聖子『おかあさん疲れたよ』と三浦綾子『銃口』 その3

「綾歌」館長ブログ

三浦綾子と田辺聖子。〈戦中派〉の2人が、平成のはじめに相次いで〈昭和〉を総括するような長編を発表していたことは、単なる偶然以上のものがあるでしょう。また、それぞれの作品に、自身の忘れがたい体験が盛り込まれている点も着目したいところです。

三浦綾子の『銃口』では、戦時下の7年間、小学校教員として勤めた経験がいくつかうかがえる場面があります。

まず、主人公・北森竜太が赴任した「幌志内」小学校は、綾子が勤めた歌志内を思わせる地名です。また、授業がうまくて尊敬を集めていた「木下悟先生」は、山下孝吉という教員がモデルとなっていたと言われています。

旭川の某小学校の二代目「横尾校長」は、実在した小学校長・芦田省三、ほか二人の校長経験者がモデルに含まれているという説もあり、当時の教育現場の雰囲気が具体的なエピソードも交えて小説に織り込まれています。

田辺聖子の『おかあさん疲れたよ』では、終戦直前に体験した大阪空襲の光景が、作中人物・浅尾昭吾の口を借りて語られています。場所は、現在の大阪市JR京橋駅です。

中学生の昭吾が動員された砲兵工廠(こうしょう)で爆撃にあい、命からがらこの京橋駅にたどりついたとき、ここはすでに一あし早く一トン爆弾が落されており、レールは曲って天に向って直立し、ホームは倒壊、線路の石垣は崩れて多数の人々が生き埋めになっていた。呻(うめ)き声や泣き声、爆風で吹っ飛び、叩きつけられた死骸の山。──その間も敵機の近づく音。昭吾はあぐりの手を曳(ひ)いて夢中で、北へ、東野田めがけて走った。壕(ごう)へ飛びこむのと、爆弾が至近距離で炸裂(さくれつ)したのと、ほとんど同時だった。……思えばよく助かったものだ。昭吾は朝夕、京橋駅から乗降していたのだ。あの空襲の朝も、遅い時間に下車していれば、吹っとんでいたことだろう。

『おかあさん疲れたよ』下巻「ぼくのマリアンヌ」より

現在も8月14日には、JR京橋駅南口慰霊塔前で慰霊祭が行われ、同じく砲兵工廠跡地である大阪城公園でも、工廠空襲犠牲者の慰霊祭が行われているそうです。小説の中で過去と現在とをつなぎ合わせることで、読者にもそっとバトンを手渡しているように思われます。 分館での企画展示「同時代を生きた作家─田辺聖子と三浦綾子─」(2026年3月20日(金・祝)まで)は、この女性作家2人が後の世代に託したかったメッセージを、イラストや写真もまじえ、距離感なども伝わるような工夫も凝らしました。終戦80年のこの夏に、どうぞゆっくりご覧ください。

田中綾

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