『毒麦の季』( 三浦綾子小説作品 はじめの一歩 )

“はじめの一歩”とは?

三浦綾子の作品を〝書き出し〟でご紹介する読み物です。
気に入りましたら、ぜひ続きを手に入れてお読みください。出版社の紹介ページへのリンクを掲載していますので、そちらからご購入になれます。紙の本でも、電子書籍でも、お好きなスタイルでお楽しみくださいませ。物語との素敵な出会いがありますように。

三浦綾子記念文学館 館長 田中綾

小説『毒麦の季』について

小説宝石1971年8月
出版 … 『毒麦の季』光文社1978年10月
現行 … 『毒麦の季』小学館文庫・小学館電子全集
夫の不倫発覚から不和となり離婚した夫婦とその子どもの悲劇。家庭への責任を持つはずの親の自己中心によって幼い達夫の心に蒔かれた毒麦の種は、愛の喪失の淋しさによって育ち、嘲りに追い詰められて惨劇の実を結ぶ。

「一」

 達夫はランドセルを少し左にずらせたまま、石ころをけりながら道を歩いて行く。苗を植えて間もない水田が、ところどころ家の間に残っている郊外の住宅地である。歩くたびに背中のランドセルの中で、筆入れがカタコトと鳴る。その音が、一年生の達夫には何だか淋しいのだ。うつむいて歩いて行く達夫の細いうなじに、ぼんのくぼがえぐったように、へこんでいる。
「ターちゃん、いま帰るのか」
 一年上のまさるが、ソフトクリームをなめながら、向こうから、歩いて来た。
「うん」
 自分もうちに帰って、ソフトクリームを食べようと思いながら、達夫は立ちどまってうなずいた。ライトバンが一台、二人の傍を通り過ぎた。まだ舗装されない砂利道である。土埃つちぼこりがくもった空に舞い上がって行く。
「一年生のくせに、おそいぞ。道草くってたな」
 勝は、なめかけのソフトクリームに土埃のかかるのも気づかぬように、達夫にいった。
「ぼく、何もくってないよ、勝ちゃん」
 達夫は、道草という言葉を知らなかった。
「ばかだな、ターちゃんは。道草くうって、学校の帰りに遊んでくることだぞ」
「ふーん」
 笑っている勝の顔を見て、達夫もにこっと笑った。

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