『愛の鬼才』( 三浦綾子小説作品 はじめの一歩 )

“はじめの一歩”とは?

三浦綾子の作品を〝書き出し〟でご紹介する読み物です。
気に入りましたら、ぜひ続きを手に入れてお読みください。出版社の紹介ページへのリンクを掲載していますので、そちらからご購入になれます。紙の本でも、電子書籍でも、お好きなスタイルでお楽しみくださいませ。物語との素敵な出会いがありますように。

三浦綾子記念文学館 館長 田中綾

小説『愛の鬼才』について

連載 … 小説新潮1982年6月〜1983年9月
出版 … 新潮社1983年10月
現行 … 小学館文庫・小学館電子全集
札幌商業学校(現・北海学園札幌高校)教師、洋菓子のニシムラ社長、札幌北一条教会長老として名を馳せた西村久蔵にしむらきゅうぞうの生涯を描いた伝記小説。氏の葬儀には大勢の人々が詰めかけ、会場は涙と熱気と賛美歌の歌声で溢れた。愛の凄さを知る物語。

「第一章」

 アスファルトの鋪道ほどうに、靴がめりこみそうな暑い日であった。三浦と私は、札幌さっぽろ駅から程近い北一条教会に向って歩いていた。
 その日、一九七三年(昭和四十八年)八月十一日午後一時から、北一条教会において、故西村にしむら久蔵きゅうぞう氏召天二十周年記念会が持たれることになっていた。駅前通りと北一条通りの交差点を右に曲ると、両側の鋪道にアカシヤの並木が黒い影を短く落していた。車が引っきりなしに行き交うこの国道の、三百メートルほど左手に、教会の細い尖塔が鋭く青空を突き刺していた。グリーンのトタン屋根に、グレイの板壁の教会堂は、明治時代の様式を偲ばせて、いかにも日本有数の大教会らしい風格を見せていた。名著『福音的キリスト教』をもって、日本キリスト教史にその名をとどめた高倉徳太郎牧師や、第二次大戦中、非戦論をとなえて投獄された小野村林蔵牧師などの歴任した教会である。
 この歴史ある教会の三大信者とうたわれる人に、らい病院にその一生を捧げた医師林文雄、北大教授の新島善直、そしてこの西村久蔵がいた。
 正面玄関の横に立てかけてある「故西村久蔵先生召天二十周年記念会」の看板を、私は深い感慨をもって眺めながら、教会堂に入った。ホールから会堂に一歩足を踏み入れた私は、思わずはっと立ちどまった。定員四百名の椅子は、定刻前すでに満席に近かったのである。
 記念会の企画は、一ヶ月ほど前に知らされていた。先生の教え子たちが中心になっての、ささやかな集いということであった。西村久蔵氏は、札幌駅前に洋生ようなまの店ニシムラを創業した先代だが、一九二三年(大正十二年)から一九三六年(昭和十一年)までの十三年間は、私立札幌商業学校に教鞭きょうべんを取った教師でもあった。
 召天二十周年のこの年は、氏が教壇を去って、実に三十七年目にあたっていた。ということは、この会を企画した人々は、三十七年前から五十年前の教え子たちということになる。
 この時まで、私は、今日の出席者は、遺族を除いて百名余りではなかろうかと予想していた。なにしろ四十年も五十年も前の教え子たちである。いかに西村先生が生徒たちに慕われた教師であったにしても、没後二十年になる。十五年戦争という過酷な時代を経て、おそらく教え子たちは、あるいは死に、あるいは全国に四散しているにちがいない。長い年月の間には、師弟の情も幾分はうすらいでいるにちがいない。とはいっても西村先生の記念会である。百名は集まるであろうかと、私は予想して来たのであった。その私の前に、四百の椅子をほとんど埋めつくした会衆の姿があったのである。
 定刻一時、オルガンの奏楽が堂内に静かに流れ始めた。私は会堂正面の壁にはめこまれた長方形の渋いステンドグラスに目をやった。このステンドグラスは、西村先生がその若い日に、青年会員一同と共に労働して得た金で捧げたものと聞いていた。奏楽につづいて、司会の山田しげる牧師がその長身を壇上に現わし、厳粛な祈りを捧げられたあと、西村先生愛唱の讃美歌三七九番が会衆一同によって、力強く歌われた。
  みよや十字架の 旗高し
  君なるイエスは 先立てり
  すすめつわもの すすみゆき
  …………………
 讃美歌の中で最も勇壮と言ってよい曲であり歌詞である。その生涯を信仰によって戦いぬいた先生の葬儀の日、遺言によってこの讃美歌が歌われたと聞いている。

つづきは、こちらで

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