『草のうた』( 三浦綾子小説作品 はじめの一歩 )

“はじめの一歩”とは?

三浦綾子の作品を〝書き出し〟でご紹介する読み物です。
気に入りましたら、ぜひ続きを手に入れてお読みください。出版社の紹介ページへのリンクを掲載していますので、そちらからご購入になれます。紙の本でも、電子書籍でも、お好きなスタイルでお楽しみくださいませ。物語との素敵な出会いがありますように。

三浦綾子記念文学館 館長 田中綾

小説『草のうた』について

連載 … 月刊カドカワ1985年5月〜1986年4月
出版 … 角川書店1986年12月
現行 … 角川文庫・小学館電子全集
幼少期を描いた自伝小説。大正たいしょう11年生まれの綾子の眼に映る旭川の街の情景を交えながら、祖母の素話、両親や兄弟たちの横顔、身近に起こった出来事、ませた読書体験など、幼き日の暮らしが丁寧に語られる。綾子の豊かな感受性に触れる物語。

「1」

 それは冬の夜だった。
 まだ三、四歳だった私は、祖母と二人で据え風呂に入っていた。台所の片隅の一坪ほどの土間にその風呂はあった。台所の天井から下がっている薄暗い裸電球に湯気がまつわり、片隅の風呂まではその光は届かなかった。焚口の火が土間の壁に光を照り返していた。
 祖母は水仕事に荒れた手で私を抱き、
「昔々ねえ」
 と、話を聞かせてくれていた。祖母といっても、まだ五十二、三の歳であった。この母方の祖母はたくさんのひと口話やおとぎ噺を知っていて、
「あのね、ある所にとっくりがいたんだと。そこに玉ねぎが遊びに来たんだと。二人でお風呂に入って、玉ねぎがお風呂を出ようとしたら、とっくりが『たまたまきたんだもの、とっくりと入って行きなさい』って言ったんだと」
 とか、
「昔々ね、靴と胡瓜が川に流れていたんだと。その靴の中に胡瓜が流れこんだんだと。そしてね、胡瓜が『ああ、きゅうくつだ、きゅうくつだ』って言ったんだとさ」
 とかいうひと口話をよく話してくれた。まだ三、四歳の私にはそれがおもしろくて、何度聞いても飽きることがなく、聞くたびに笑ったものだった。
 その夜も祖母の話を聞きながら、湯の中に体を沈めていたのだが、突如、裏のほうから太鼓の音が聞こえてきた。私の家と隣家との間には幅四メートルほどの広い路地があって、長さ四十メートルに及んでいた。その路地の真ん中あたりに井戸があったのを覚えている。太鼓の音に、私は思わずガラス戸越しに暗い外を見た。と、雪道を白い着物を着た人々が五、六人、一列になって何やら唱えながら、路地に入って来るのが見えた。その低い声も、うちわ太鼓の音も、白い衣服も、幼い私にはまことに異様であった。恐怖のあまり、私は祖母の胸にしがみついた。
 何のことはない、寒行の善男善女の一行にすぎなかったのだが、暗い路地に、輪郭もおぼろな白い衣の人たちが、「南無妙法蓮華経」「南無妙法蓮華経」と太鼓を叩きながら近づいて来る姿は、言いようもない無気味さで迫ったのであった。幼い頃を考えてみると、幼年時代というものは、無気味さの中にある時代といえるのではないだろうか。むろん、楽しい思い出が全くないというわけではない。だが私は、幼い頃は無気味さと、淋しさ、不安、恐怖の入りまじった中にあったような気がする。幼子にとってはすべてが全く新しい体験である。新しい体験というものは、楽しいことよりも不安に満ちているものなのではないだろうか。
 私は生来、虚弱な体質であった。腺病質のためか、よく熱を出した。そんな時、夜中に目がさめると、つけっ放しの(当時は電気はメーター制ではなかった。ほとんどの家が、真っ暗にして寝るということはなかったようだ。幼い子供のいる家は特に点灯したまま寝ていたようだ)電灯に黄色い輪が見えて、それがまた妙に不安を掻き立てた。部屋の隅に薪ストーブが燃えていて、その上には赤銅の深い洗面器がかけてあった。たぶんその洗面器のお湯で、熱い湿布をしてくれていたのだろう。あるいは、湯気を絶やさぬように医師に命じられていたのでもあろうか。ストーブの傍には、私たちが「当麻とうまの伯父さん」と呼んでいた父の義兄が、よく雑誌に読み耽っていたのを私はたびたび見た。この人は、田舎の医者の代診をしているとかで、私の父母は、子供たちが病気の時には、看病を頼んでいたようである。
 その夜も熱に浮かされて目をさました時、私はいつものように電灯が黄色いかさをかぶっているのを見、その視線をストーブのほうに移した。その途端、私はぞっとして叫び声をあげるところであった。色の黒い、髪の真っ白な老婆が、じっとストーブの前に背を屈めていたのだ。その老婆の顔にストーブの薪の火が映って、ちろちろと光っていた。目が吊り上がって見えた。もしその時、私が高熱のために再び眠らなかったとしたら、私は恐怖のために気を失ったかも知れない。それは祖母の話に出てくる山姥によく似ていた。
 が、その人は山姥ではなかった。私が初めて見たというだけで、父方の親戚の人だったのだ。私の看病に駆り出されて、寝ずの番をしてくれていたのだった。馴れてしまえば、親切な優しい人であった。何も、気絶するほどに恐怖することはなかったのだ。
 やはりこれも病気の夜だった。私は夢とも現ともつかぬ中で、妙な幻を見た。長い、黒い塀があった。私の家のすぐ前には、半丁にわたる大きな屋敷があって、黒い高い塀で囲まれていた。その黒い塀が幻に現れたのだろうか。塀の上に、青白い若い男の首だけが宙にふわふわと浮いていた。首だけといっても、その首がぷつりと斬られているのではなく、尾を引くように次第に細くなって、その末端は塀の陰にかくれていた。その男の首はゆらゆらと揺れ、私をじっと見つめたまま、視線を離そうとはしない。そして彼は、赤い唇を大きくあけて、にたにたと笑ったのだ。
 私は今に至るまで毎夜のように夢を見、時折幻を見てきた。それらの中でも、このように私をおびえさせたことはなかった。私には現実に幽霊を見た体験のようにさえ思われるのだ。

つづきは、こちらで

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