劇団「河」31年ぶりの復活

劇団「河」、31年ぶりの復活公演を観て

 7月15日(土)、旭川市の伝説的な劇団「河」の「詩と劇に架橋する十三章」を観劇する機会に恵まれました(@旭川市市民活動交流センター)。31年ぶりの“復活公演”で、気温30℃を超える暑さにもかかわらず、観客席は満席。童話と詩の朗読を織り交ぜた前衛的な舞台に、客席からの拍手は、いつまでも鳴り響いていました。

 北海道のアングラ演劇をリードした劇団「河」については、那須敦志さんのご芳著『“あの日たち”へ~旭川・劇団『河』と『河原館』の20年』(中西出版、2016年)にくわしく、1970~80年代の演劇シーンの熱さが伝わってきます。
 同書によると、劇団代表の星野由美子さんは、旭川市立高等女学校での三浦綾子さんの後輩にあたり、星野さんが経営した美容室に、綾子さんもよく訪れていたそうです。さらに、星野さんは高野斗志美・初代館長とも交友があり、戦後の旭川の文化・芸術地図が見渡せるような一冊でした。

 しかも、私が短歌にかかわるきっかけとなった歌人・福島泰樹さんが、「河原館」(劇団「河」が拠点とした小劇場)でイベントをされていた写真も発見。当時まだ子どもだった私の“アウェイ”感から、一転、まるで、こころの“ホーム”のような親しみさえわいてきました。

 本書をきっかけに、31年ぶりの公演が実現したわけですが、その記念すべき公演をお知らせくださったのは、三浦綾子記念文学館朗読友の会「綾の会」の中辻明さんでした。中辻さんは、この公演に「紅小路旭」名でご出演――なんと、まさに劇団「河」、1970年代の役者のお一人だったのです。

 「詩と劇に架橋する十三章」は、1974年が初演。原案は松島東洋さんで、当時の構成・演出は、塔崎健二(故人)。複数のバリエーションがあり、旭川ゆかりの詩人・小熊秀雄の童話「焼かれた魚」を基調に、今回は10編の詩が朗読され、まさに「架橋」という趣向でした。

 飯島耕一「他人の空」、田村隆一「再会」、鮎川信夫「繋船ホテルの朝の歌」、そして私が愛読する石原吉郎の「葬式列車」、さらに、現代の餓鬼図をテーマに据えた黒田喜夫(1926~1984年)の詩の朗読の場に立ち会えるとは……感慨もひとしおでした。

 私が学生時代にあこがれた戦後詩・現代詩の記憶を呼び醒まし、刺激を与えてくださった劇団「河」、次なる公演が今から待ち遠しいです。

田中 綾

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