「新聞表記的には、ジェーム『ズ』・ディーンです」
現在、北海道新聞に連載中の小説「あたたかき日光(ひかげ)──光世日記より」。その8回目の原稿チェックのときです。ご担当の部長からメールをいただき、「なんと!」と、間の抜けた声を出してしまいました。
彼はご存じ、1950年代の若きハリウッドスター。三浦夫妻が、その代表作『エデンの東』https://www.warnerbros.com/movies/east-eden を観たという話題で、原稿ではジェーム「ス」・ディーンと表記していました。個人的には、大沢逸美さんのデビュー曲「ジェームス・ディーンみたいな女の子」(1983年)でジェーム「ス」という発音に慣れ親しんでいたので、疑うことすらなかったのですが──検索すると、Wikipediaでもジェーム「ズ」表記となっていてびっくり!
新聞社のかたにさらに調べていただくと、日本の音楽シーンには、ジェーム「ス」の表記で、岡林信康「ジェームス・ディーンにはなれなかったけれど」(1994年)、Johnny「ジェームス・ディーンのように」(1981年)などの曲があり、夭折の名俳優がカリスマ的な存在だったことがうかがえました。
実は、新聞でも、過去の記事では「ジェームズ」「ジェームス」が同数くらいあったそうですが、厳密にはジェーム「ズ」なのだとか。いつごろからジェーム「ズ」表記が増えたのか、調べてみるのも一興かもしれません。
連載第8回目は、三浦綾子の『愛すること 信ずること』https://www.hyouten.com/hajimeno-ippo/101_aisurukoto の次の記述に合わせて、ジェーム「ス」表記にさせていただきました。光世の「人まね」「声帯模写」が飛び抜けてうまいという話題です~
いつか「エデンの東」の再映を見に行った。その夜、ふとんの中で彼がじっとわたしを見つめている。わたしはその顔を見て、思わずとび上がった。そこにはジェームス・ディーンが、悲しげにわたしを見ているではないか。余りのうまさにわたしはいささかうす気味悪くなったほどだ。そして知った。表情を巧みに真似ることができれば、全くちがった顔立ちの人間でも、その人に似ることができるということを。
三浦綾子『愛すること 信ずること』(1967年、講談社)
光世さんの「ジェームス・ディーン」顔まね、相当巧みだったのでしょうね。想像しながら『エデンの東』をあらためて観てみませんか?
田中 綾