『泥流地帯』( 三浦綾子小説作品 はじめの一歩 )

“はじめの一歩”とは?

三浦綾子の作品を〝書き出し〟でご紹介する読み物です。
気に入りましたら、ぜひ続きを手に入れてお読みください。出版社の紹介ページへのリンクを掲載していますので、そちらからご購入になれます。紙の本でも、電子書籍でも、お好きなスタイルでお楽しみくださいませ。物語との素敵な出会いがありますように。

三浦綾子記念文学館 館長 田中綾

小説『泥流地帯』について

連載 … 北海道新聞日曜版1976年1月〜9月
出版 … 新潮社1977年3月
現行 … 新潮文庫・小学館電子全集
北海道上富良野かみふらの町を舞台に描いた現代小説。明治30年の入植から30年後。開拓農家の石村一家は、市三郎・キワ夫妻と息子家族で懸命に農を営んでいた。孫の拓一・耕作兄弟の成長譚を軸に、十勝岳とかちだけの麓、大自然の中で繰り広げられる青春群像劇。

「山合の秋」

   一

 外は闇だった。
 星光一つ見えない。まるで墨をぬったような、真っ暗闇だ。あまりの暗さに、外に出た拓一は、ぶるっと体をふるわせる。いつもこうなのだ。もう六年生だというのに、拓一は夜、外に出るのが恐ろしい。
 着物の前をめくりながら、拓一は左へ十歩数えて行く。人の気配に、馬小屋の中で馬が甘えていななく。鶏はとうに眠っていて、羽音もたてない。拓一は、息をつめて小用を足す。静かな音だ。その音がまた拓一をおびやかす。
 便所はもう少し離れている。そこまで行く勇気は拓一にはない。
 用を足しながら、拓一はじっと闇に目をこらす。手でかきまわせば、闇がねっとり手の先についてくるような気がする。すぐ前にある収穫の終ったえんどう畠も、その向うにぞっくりと繁るエゾ松林も、小高い山も、ただ闇の中だ。
 左右から山のせり出すその峡の彼方に、新雪をかぶって稜線をかっきりと見せている十勝連峰の一劃も、今夜のこの闇の中では、全く見えない。近くの小川の音だけが左手の藪のほうから聞えて来る。
 用を足し終った拓一は、ひょいと前方を見た。七、八町向うに、ポッと黄色い灯が見えた。灯が右へ左へ揺れる。拓一はあとずさりした。
(狐火か!?)
 闇夜に見える遠い灯は不気味だ。
(提灯かも知れない)
 そう思った時、いきなり灯が消えた。さむ気がざわざわと背筋を走る。と思う間もなく、またぽっかりと灯がゆれはじめる。
 言いようもない恐ろしさに、拓一は一目散に戸口に走る。引戸をがたびしさせて、ようやく家に入る。
「また拓一の意気地なしが!」
 祖父の市三郎が、ストーブの傍で言う。市三郎の金つぼまなこが笑っている。濁りのない目だ。
 拓一は、土間の隅の流し台に行き、四斗瓶から柄杓に汲んで、ごくごくと水を飲む。胃に沁みわたって行くのがわかるほど、秋の夜の水は冷たい。
(父さんが死んでからだ)
 拓一は、自分が臆病になったのは、父の義平の死以来だと、自分でも承知している。
 父は四年前の大正二年二月二十一日、冬山造材で木の下になって死んだ。三十二歳だった。その父を共同墓地の野天の焼場に送ってからだ。
 暗いところに一人いると、父の顔がうすぼんやりと見えるような気がする。思うまいとしてもつい目に映る。
 拓一は草履をぬいで板の間に上る。十畳ほどの板の間の窓寄りに、薪ストーブが燃えている。そのストーブの上に鉄鍋をのせ、祖母のキワがそばがきをつくっている。菓子代りだが砂糖は使わない。姉の富が小皿をみんなに配る。
 みんなと言っても、祖父母のほかは、拓一と、十五の富と十の耕作と、六つの良子だ。
 小学校へ入る前から本好きの耕作は、うす暗い石油ランプの下で、先生から借りた童話の本を読んでいる。学校の教師は拓一に言ったことがある。
「おい石村、お前のおんじの耕作は、学校始まっての秀才だな。もう、先生も負けるべな」
 先生が生徒に負けることはない。
(先生、冗談ば言って!)
 拓一はその時そう思った。が、今では、いつかは弟の耕作は先生を負かすだろうと思っている。
 学校は、拓一たちの家から更に一里近くも奥にある。狭い山合の小さな学校だ。先生がたった一人の複式授業で、一年生から六年生まで同じ教室だ。耕作は、二年生よりも先に九九を覚えたし、四年生の習う教育勅語だってすぐに暗誦した。
 生徒たちは、
「チンおもうに」
 と言って鼻をつまみ、
「わが、コソコソコソ」
 と、相手の腋の下をくすぐってふざける。が、それが教育勅語かどうかは下級生は知っていないし、それ以上はおぼえもしない。しかし耕作だけは、少し大きな頭をちょっと右に傾け、じっと聞いていて暗誦してしまう。
「ばっちゃん、今ごろ母さん何してると思う?」
 お下げ髪の富が、ふと思い出して呟く。
「元気で、がんばっているべさ」
 祖母のキワは、血色のよい骨太の手で鉄鍋を木の鍋台におろす。
「いつ迎えに来るのかな」
 と言いながら、拓一が良子の皿を取って、祖母にさし出す。
「まず、じっちゃまからな」
 キワはやさしく言って、祖父の皿に盛り、次に良子の皿に盛ってやる。
 耕作は本から目を離し、膝小僧を抱えている。母の話が出ると、耕作はいつも黙る。そのことに気づいているのは祖母のキワだけだ。
「お前らの母さんはな、札幌一の髪結いになって、お前らを迎えに来る」
 いつも言うことを祖父はくり返す。耕作はその祖父の顔をじっと見つめる。祖父の目がきらりと光る。それが涙だと耕作は知っている。が、祖父は決して涙をこぼさない。さっと目がぬれて光るだけだ。
 耕作は、熱いそばがきを醤油につけて、ふうふう吹いて食べる。食べながら、母のいなくなった日のことを思い出す。
 二年前の、あれはたしか雪どけの頃だった。
「今日はな、子供らはみんな、叔父さんちへ遊びに行ってこう。米の飯食わせてくれっとよ」
 祖父に言われて、富はまだ四つの良子の手をひき、耕作と拓一はわいわいはしゃぎながら、半道程奥にある叔父の石村修平の家に行った。
 米の飯は、盆と正月と、祭りか葬式の時にしか食べたことがない。人参とごぼうとえん豆をまぜた、五目飯ならぬ三目飯だったが、耕作には、たとえようもない程うまかった。
 さんざん食べたり歌ったりして、うす暗くなった。帰ろうとする時、戸口によりかかって、叔母のソメノが言った。
「あんたら、家さ帰ったら、びっくりすることが待ってるよ」
 遊びのつづきのつもりで、拓一が笑った。
「何さ、熊かい、熊が待っているのかい」
 ソメノは雪やけした頬をひきしめて、
「あんたらの母さん、もう家におらんわ。遠くさ行って、もう帰らんわ」
 と言った。
「うそだーい。叔母ちゃんのうそつき」
 拓一がはやし、耕作もはやした。
「うそだかどうか、帰ってみればわかるさ」
 ソメノはあわれむように二人を見た。
「うそだーい、うそだーい」
 そうは言ったものの、俄かに不安になった拓一は、外に出るとすぐに走り出した。耕作もあとにつづく。着物の裾が足にからみつき、幾度もころびそうになりながら二人は走った。その二人のあとを、良子を背負い、ゆすり上げゆすり上げては、少しおくれて富も走った。
「うそだよな、兄ちゃん」
 不安がる耕作に、
「うそに決まってる」
 拓一が怒ったように言う。
 すぐにまた耕作がきく。
「母ちゃん、いるよな」
「いるに決まってる!」
 半里の道を二人は息せききって走った。
(母ちゃんがいないなんて、うそだ、うそだ)
 と思いながらも、
(もし母ちゃんがいなかったら……)
 と思うと、つい足がもつれる。雪どけ水が何度も顔にまで跳ね上る。と、耕作は馬の足跡につまずいてつんのめった。が、すぐに起きて拓一を追った。
 ようやく道路を右に折れ、家への坂をころがるように走って、
「母ちゃん、母ちゃん」
 と土間に駆けこんだ時には、拓一は既に奥の間を開けて、狂ったように母の姿を探していた。
 その時のことを、耕作は時々思い出す。思い出すと胸のあたりが疼く。
 母の佐枝が夫の義平に先立たれたのは、三十一歳の時だった。
「若いみそらで、かわえそうだなあ」
 葬式の日、部落の者たちがこう言っていたのを、拓一は覚えている。
 その二年後、佐枝が四人の子を置いて札幌に出たのを、悪く言う者もいた。
「髪結いだか、何ゆいだか知らんども、しゅうとに子供ばおしつけて、自分一人楽する気になって」
 佐枝に手職を持たせようとしたのは、市三郎とキワだった。佐枝の体が、農家に耐え得ないという理由からだった。だが、それは表向きの理由だった。もう一つの理由を、市三郎はまだ誰にも語っていない。

   二

 そばがきをみんなが食べ終わった時だ。
「おばんでやす」
 表で声がした。
「あ、田谷のおどだ」
 拓一が言う。田谷のおどは、柄沢与吉の奉公人だ。柄沢は小作農だが、奉公人を三人も使っている。この日進部落で、一番豊かな小作農家だ。田谷のおどは、四十過ぎてもなぜか独り身で、奉公人として働いている。しばらく前までは「田谷のあんさん」と呼ばれたが、この頃はもっぱら「田谷のおど」と呼ばれている。本名は仙太だ。田谷仙太は決まって家の二、三間向うで、
「おばんでやーす」
 と大きな声を出す。
そして、戸をガタピシあけてから、
「いたかやー」
 と顔をつき出す。今夜もそうだ。ぬっと頬かむりの首が出、
「いたかやー」
 と、土間に一歩足が入る。
「おう、田谷のおどか、まんず上れや」
 市三郎が言うか言わぬかに、持っていた提灯をたたんで土間に積んだ薪の上におき、地下足袋を脱ぐ。
 拓一はその提灯を見て、
(あ、さっきの灯は狐火じゃなかったな)
 と、ほっとして、にやにやする。耕作はじっと、田谷仙太の様子をみつめている。
 部落の人たちの中には、
「まんず上れや」
 と言われても、
「やばちいなりだから」
 と遠慮して、土間と居間の間仕切りに腰をおろすだけの人もいる。
 が、田谷仙太はちがう。はじめから必ず上るつもりでいる。仙太のちがうところはまだある。ほかの人は頬かむりをとってから家に入ってくるが、仙太はろばたに坐ってから頬かむりをとく。それが耕作には何となくおもしろい。
 何よりおもしろいのは、仙太が決まって何か新しい情報を持ってくることだ。仙太が入ってくると、耕作は勉強していても、本から目を離す。仙太は新聞代りなのだ。
「のう、石村のじっちゃま。薬ばもらいに来たんだどもな……」
 仙太は腰から煙草入れをぬく。
「誰か怪我人でもできたか」
 石村市三郎は家伝薬をつくる。にらだけでつくったのと、焼酎と野草を何種かまぜ合わせてつくったのとがある。それらが、怪我やうちみや、腫れものによく利く。それだけではなく、急性肺炎にも、腹痛にも利く。
 死にかけた赤ん坊が、家伝薬のにらのつゆをのんで生き返った。それがもう小学校二年生になっている。で、医者のいないこのあたりでは、病人が出ると市三郎の家伝薬をもらいに走る。
「うん、うちの甚助がな、足ばごねてよ」
 甚助も柄沢の奉公人だ。仙太は太い指で、きせるに刻みタバコをつめる。
「何でまた、足などごねたっかね」
 キワが聞く。
「なに、奴さん市街の深城に金ば借りてよ、期限までに返さなかったもんだで、番頭が催促に来た。甚助の奴、番頭の姿ば見て、逃げ出そうとしてな、石ころに蹴っつまずいてよ、踵ばひねったってわけよ」
「ひねっただけだば、麦粉と酢を練ってつけりゃ、よかべ」
「いや、それが利かねえ。だんだん足首が腫れっから、それでじっちゃまの薬ばもらいにきたっつうわけだ」
「何だってまた、深城なんぞから借りたんだね。深城のやり口は、わかってるべに」
 深城は、市街で飲食店をし、そのかたわら金貸しをしている。その高利と、容赦のない取立てで、近在に深城の名は鳴りひびいている。
「そりゃあ、言うまでもねえ、バクチの金だあ。甚助のバクチ狂いは曾山の親父と同じでなあ」
 拓一と耕作は、何となく顔を見合わせた。曾山巻造は、拓一の仲よしの国男の父だ。国男には目もとのやさしい、下ぶくれの福子という妹がいる。福子は耕作と同じ年の、小学三年生だ。
「バクチか?」
 吐き出すように市三郎は言い、眉をしかめる。バクチとは何のことか、耕作にはよくはわからない。
「深城は相変らずあこぎだなあ、じっちゃま。手前んところで開帳してよ。テラ銭をかき集め、負けた奴に金ば貸して、高い利子はふんだくる……」
 子供たちには、さっぱりわからぬ言葉ばかり飛び出す。が、日頃やさしい祖母のキワが、
「ほんとに、ひどいこったねえ」
 とうなずくのを見、耕作も、深城というのは、あまりよい人間ではないと見当がつく。
「あれで、かみさんがいいから、まだいいさ。あのかみさん、白首上りだが、えらくやさしいかんな」
(ゴケアガリ?)
 耕作は、前歯の一本欠けた仙太のよく動く口をみつめる。ゴケという言葉は時々聞く。山の硫黄鉱業所に働らいている若者たちが、時々薬をもらいに来て、
「ゴケ買ったバチでな」
と首をすくめたり、
「あの野郎、金が入りゃゴケ屋通いだ」
 と言ったりするのを聞いて知っている。が、どんな字を書くのか、何のことか、耕作は知らない。ただ、大人の口からゴケという言葉が出る時、何となく大人たちの表情がいやしく変るのを、耕作は敏感に感じとっている。だから耕作は、ゴケという言葉のひびきが嫌いだ。
 祖母のキワが仙太に言う。
「田谷のおど、白首上りだがやさしいなんて、そんなこと言えねえべさ。白首はもとはと言えば大方は貧乏人の娘でねえかね。売られたから白首になったわけだもの。その心根を思いやってやりなせえよ」
 珍らしく強い語調だ。仙太は調子よく相づちを打ち、
「んだ、んだ。ばっちゃまの言うとおりだ。白首はもともと、俺だち貧乏人の仲間だもんな。心根は悪い筈はねえ」
「ところで深城のおかみは、いつ後妻に来たんだったけな」
 市三郎が薬の入っている二合瓶を、仙太の前に置く。その瓶を持って、片手で拝む真似をしてから、自分のわきに置き、
「今年の三月でさ」
「札幌に預けておいた子供たちは、どうしたね」
「それだってばさ」
 ポンとひざを叩いて、
「わらしっ子二人いたべや。男と女と。それが四年ぶりでこの間帰って来た。それがよ」
 仙太はぐいと片膝を進めて、
「それが、まだ十かそこらだっちゅうに、めんこいのめんこくないの。ありゃあ上玉だでや。大きくなったら、天女のような別嬪になるべえって、今から大した評判でさあ」
 仙太の言葉に、拓一がちょっとあかくなったのを、耕作は不審そうに見た。

   三

 田谷仙太が、石村市三郎の家に家伝薬をもらいに来た夜から、五日経った。
 その朝、拓一はまだ暗いうちに目をさました。隣りで耕作が寝息も立てずに眠っている。その向うに姉の富の顔が、影のようにぼんやり見える。
 末っ子の良子は、祖父の市三郎と祖母のキワの間に並んで、居間で寝ている。たった二間の家なのだ。居間も奥の間も、板敷で、その上にうすべりを敷いている。
 拓一は寝返りを打った。どこからか隙間風が顔に当る。拓一はかたわらの壁に手を伸ばし、壁に貼った古新聞を指でさぐった。荒壁のひび割れた感触が、古新聞を通して伝わる。十月にしては冷たい風が、新聞の破れ日からすうすう入ってくる。
(何だ、ここから入ってくるのか)
 今日にも破れを貼らねばと、大人っぱく胸の中でつぶやきながら、手をふとんの中に入れた時、鶏が鳴いた。
(二番鶏だ!)
 拓一は首をもたげる。二番鶏は四時頃鳴く。その鶏の声が、今朝はどこかおかしい。
「こけこっこう」
 と、いつも鳴く筈なのだ。それが、
「こけっけっこう」
 と、蹴つまずいたような鳴き方をしている。
 居間で祖父母の起きる気配がした。祖父たちはこの頃、二番鶏が鳴くと起きるのだ。夏の間は、一番鶏の鳴く三時には起きていた。
 待ちかまえていたように、拓一は耕作の脇腹をつつく。今日は日曜日なのだ。
「拓一、あしたぁひる前みっちり働らいたら、ひるから遊ばせてやってもいいど」
 昨夜祖父の市三郎が言ったのだ。
「ほんとかい、じっちゃん」
 拓一も耕作も飛び上って喜んだ。
 農家の子供は、小学校の三年生になったら、もう大人と一緒に働らく。雪の来るまでは、子供といえどもめったに遊ぶ暇はない。六年生ともなればなおさらだ。それが、半日も遊ばせてくれるというのだ。しかし、そのためには、大根干しと豆打ちの仕事を、自分のする分だけしてしまわねばならない。
「兄ちゃん、おれも手伝う」
 耕作も約束した。兄の拓一と遊ぶことはめったにないから、耕作も遠足の前の日のように、わくわくして寝た。三年下でも耕作には根性がある。昨日の大根洗いだって、指が凍りそうなのに、
「もう、やめれ」
 と市三郎に言われるまで頑張った。
 拓一に脇腹をつつかれて、耕作はハッと目をさました。
「二番鶏が鳴いたぞ」
「大変だ!」
 パッと耕作は起き上る。いつもこうだ。耕作は寝起きがいい。ねむたがったり、ぐずったりしない。唇を一文字に結んで、す早く寝巻を脱ぐ。
 それを見て、拓一も起きる。
「寝ていて人を起すなかれ」
 よく、祖父の市三郎は言う。
「こりゃあな、石川理紀之助っちゅう、偉い農民の言葉だ。いいか、万事に通ずる言葉だ。お前だちも覚えておけ」
 市三郎は、孔子のこと釈迦のこと、キリストのこと、何でもよく知っていて、よく語る。だから時々「農民」などという言葉を使う。「百姓」という言葉より多く使う。
 今、拓一は、
「寝ていて人を起すなかれ」
 の言葉を思いながら、耕作におくれて着物を着た。
「兄ちゃん、天気だべか」
「天気だべや。昨日まっかな夕焼けだったからな」
 山間の上に大きく横たわった昨日の夕あかね雲を思い出して、拓一が答えた。答えながら急いで布団をたたむ。敷布団は固くなったのし餅のようだ。
 暗がりの中で布団をたたんだ拓一は、間仕切りの板戸をあけた。
「あれっ、何とまあ早えこと」
 ランプの下で、ストーブに薪を投げこんでいた祖母のキワが、二人を見て目を見張った。祖母とは言っても、まだ五十五のキワの頬はつやつや光っている。白髪も少ない。三つ年上の市三郎も、髪は白いが体はがっしりしている。一緒に歩くと拓一の息が切れるぐらい早い。
「早く起きんと、仕事かたづかんもん」
 言いながら拓一は、土間に降りて行く。昨日、手を真っ赤にして暗くなるまで洗った大根が二百本ほど、筵の上に置かれてある。拓一は土間のランプのホヤを上げ、マッチで火をつけた。石油の匂いが鼻をついた。
 顔も洗わずに、拓一と耕作は縄で大根を組みはじめた。
(魚釣り、山ぶどう取り、こくわ取り、かくれんぼ)
 拓一は何をして遊ぼうかと、昨夜から考えていたことを今また考える。秋の日は短いのだ。遊びたいことがたくさんある。
 手の先のかじかみそうな大根の冷たさだが、遊びたい一心の二人には、それも苦にならない。二人の待っていた日曜日は、こうしてはじまって行く。

   四

 山ぶどうはどこにでもある。沢にもあれば山の上にもある。が、この辺で一番うまいぶどうのあるのは、曾山巻造の山だと、拓一たちは知っている。曾山の息子の国男や、その妹の福子と一緒に、胸をはずませながら、拓一たちは山道を登って行く。馬車が一台ようやく通れる山道だ。両側の山の斜面の紅葉が美しい。
(ぶどうを取って、陣取りをして……)
 拓一も耕作も、国男もそう考えている。山の上の畠には豆のにおがある。それは陣取り遊びに格好の場所だ。つい足が早くなる。六年生の拓一は、三年生の耕作や福子を引き離して行く。四人共着物の裾をはだけて、今朝の霜にしめった山道をぐんぐん登る。
「霜に当たったぶどうはうめえぞう」
 拓一の明るい声が頭上でひびく。道は山の斜面を幾折れかして、もう畠に近い。耕作は、福子を一人後にするのがかわいそうで、つい立ちどまって待ってやる。福子は赤い唇をかすかにあけて、喘ぎながら懸命に登ってくる。時々耕作の顔を見て、にっと笑う。
(めんこいな)
 耕作は思う。耕作は、福子ほど愛らしい女の子を見たことがない。いつも目がうるんでいる。唇が小さくて真っ赤だ。人を見る時、少し首を傾ける。それが何ともいえなく愛らしい。学校は単級だ。一年から六年まで、みんな同じ教室だ。男の子たちは、誰もが福子をかまいたがる。わざと押しつけたり、ころばしたりする。着物の裾をばっとめくる男の子もいる。
 そんな時、福子をかばうのが拓一と国男だ。国男もきかん気だが拓一もきかん気だ。拓一が福子をかばうと、子供たちは、
「拓一と福子と豆いりだ」
 みんながはやす。拓一はそんなことは平気だ。拓一は走るのも一番早いし、角力も誰より強い。たまに国男に負けるくらいだ。自分をはやす子供たちをこらすことができるのだが、拓一はそうはしない。
「おお、豆いりだば悪いか」
 拓一はにやにやする。そんな拓一を、弟の耕作は偉いと思う。豆いりとはどんなことか耕作は知らない。多分仲よしということだろうと思う。が、もっといやなことを言っているような気もする。
 耕作と福子が、ようやく山の上の畠に出た時、すぐ上り鼻に、拓一と国男がムッとして突っ立っていた。
「耕作、誰か来てるぞ」
 拓一の指さすほうに、五、六年生らしい男の子が三、四人、畠のそばでぶどうを取っているのが見えた。
「おらの山だぞ」
 負けん気の国男がつぶやいて、子供たちをじっと睨む。
「見たことない子だな」
「おらの学校の子でないな、あいつら。市街の子だべ」
「追っぱらうか」
「追っぱらうべ」
 拓一も国男も、けんかが強いから、相手が三人でも五人でも平気だ。
 あちこちに豆のにおの影が、地にくっきりと落ちている。その山畠を、四人はのしのしと歩いて行く。この山の畠は、ころがした樽のようにまん中が盛り上っている。五町歩ほどの長ひょろい畠だ。この地方一帯は、小山が波打つように、幾重にもつづいている。その波の数は百や二百ではない。山と山との間の沢は、川を挟んで僅かに平地があるだけだから、大方は山の上の畠を耕している。石村の家のように、山の下に五町歩も畠があるのは、ほんとうに運がいいのだ。
 東に間近かに、新雪をかぶった十勝連峰が日に輝いている。その連峰の一ところに、やや黄がかった煙が、ぬけるような青空に立ちのぼっている。あのあたりに硫黄鉱山があるのだ。
 四人は、見知らぬ子供たちの前に来て立ちどまった。
「おい、ここはおれんちの山だぞ。誰にことわって入ったのよ」
 国男が突っかかるように言う。ふり返った子供たちは、一瞬ぽかんとしたように、こっちを見た。
「ここは、おれんちの山だぞ」
 国男がくり返す。子供たちは国男の気勢に押されて、お互いに顔を見合わせた。真っ赤なぶどうの葉陰に、黒いつぶらなぶどうの房がちらちらと見える。
「人んちの物取ったら、泥棒になるべな」
 拓一はややおだやかに言う。拓一はきかん気だが、目尻が人より下っていて、その上笑顔の多い親しみ深い顔だ。だが、言った言葉は鋭い言葉だった。耕作は内心、
(あんなこと、いわんでもいいのにな)
 と、うしろめたい気持になった。耕作たちだって、どこの山にも入ってぶどうやこくわを取る。しかし、泥棒だと思ったこともないし、言われたこともない。俄かに、兄の拓一が無理を言う人間に思われた。

つづきは、こちらで

朗読劇「いいこと、ありますように」

(1)『泥流地帯』を読んでみる

(2)耕作のこと

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