『喪失』( 三浦綾子小説作品 はじめの一歩 )

“はじめの一歩”とは?

三浦綾子の作品を〝書き出し〟でご紹介する読み物です。
気に入りましたら、ぜひ続きを手に入れてお読みください。出版社の紹介ページへのリンクを掲載していますので、そちらからご購入になれます。紙の本でも、電子書籍でも、お好きなスタイルでお楽しみくださいませ。物語との素敵な出会いがありますように。

三浦綾子記念文学館 館長 田中綾

小説『喪失』について

小説宝石1978年7月
出版 … 『毒麦の季』光文社1978年10月
現行 … 『毒麦の季』小学館文庫・小学館電子全集
妹と同じく自分も胃癌で死ぬに違いないという妄想に捕らわれた主婦が、自分が死ねば再婚するであろう夫への嫉妬と孤独感に翻弄され大事なものを喪ってゆく悲劇。結婚の本質が約束と信頼にあることをネガとして描く。

「一」

 暖かい日ざしになったと思いながら、文恵ふみえは朝日のさしこむ台所に立って、大根を刻んでいた。軒下の雪がめっきり少なくなり、黒ずんでいるのが窓から見えた。
「なんだ。もう、そんなことをしてもいいのか」
 夫の紘二郎こうじろうの声に、文恵は包丁を持ったままふり返った。
「もう大丈夫よ。自分で動きたいような気持ちになっているんですもの」
「そうか。それはよかった。しかし無理はするなよ。どれ、おれが刻んでやろう。おれのほうがどうやらお前より器用らしいからな」
 紘二郎は快活にいって、文恵から包丁をとりあげた。
「それに、おれは台所仕事がどうもしょうに合っているらしい。このまな板の音を聞いているとね、何というかね、無我の境地にも似た心境になるのが、たまらなく好きなんだ」
 文恵が涙ぐんでいるのを見て、紘二郎はそういった。

つづきは、こちらで

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