【案内人ブログ】No.40

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アノ日、空ノ下デ君ハ何ヲ想フ

11月11日午前4:05 NHKラジオ深夜便~戦争・平和インタビュー・アンコールで、「戦争を知らない私から子どもたちへ」と題する児童文学作家令丈ヒロ子氏が出演したインタビュー番組があった。

令丈ヒロ子氏は『パンプキン! 模擬原爆の夏』の作者である。

1945年8月6日広島、同8月9日長崎に原子爆弾が落とされたことは誰もが知っているだろう。しかし、その半月前の7月20日から8月14日にかけて、パンプキン爆弾(模擬原爆)が北海道、沖縄を除く計30都市で49発投下され、国内で死者400名、負傷者1200名を超える甚大な被害を出した。核物質を積んでいないため、核爆発は起きなかった。しかし、アメリカ軍は爆弾の軌道や特性を調べる必要があり、30都市はパイロットたちの練習の標的とされたのであった。
この事実は一般に広く知られることはなかった。三浦文学ファンにとっては、綴り方教育連盟事件や生活図画事件と共通する事情があったと考えてよいだろう。
1991年、愛知県「春日井の戦争を記録する会」のメンバーがアメリカ軍の文書を詳細に調べ上げた結果、「模擬原爆」の詳しい内容が明るみに出た。
1993年には「中日新聞」がパンプキン爆弾被弾地全記録を公表(新聞報道)した。

この本の主人公はヒロカ(大阪)とたくみ(東京)という一組の男女(いとこ)。ともに小学校5年生である。たくみはパソコンを駆使し、「模擬原爆についての考察」という大学生・大人顔負けの論文をまとめた。アメリカ軍は原爆を落とす地点について、何回も何回も会議を重ねた。広島・長崎に原爆投下後の8月14日に、愛知県に模擬原爆が落とされた。アメリカ軍は残っていたパンプキン爆弾86発を海に沈めた。そもそも原爆はアメリカがドイツを降伏させるために研究が始まったもの。原爆研究はアメリカだけでなく、イギリス、フランス、ドイツ、ソ連、日本でも行われていた。原爆被害者は日本で捕虜となっていたアメリカ人やイギリス人のほか、多くの在日朝鮮人が含まれていた。などという事実が明らかにされている。
また、大阪府大阪市東住吉区田辺には次のような碑が建立されている。

模擬原子爆弾投下跡地

1945年7月26日9時26分、広島・長崎への原爆投下を想定してこの田辺の地に模擬原爆が投下され、村田繁太郎(当時55歳)他6名が死亡、多数の方が罹災しました。ここに犠牲者の冥福をお祈りし、戦争のない世界の実現と全人類の共存と繁栄を願い、碑を建立します。

2001年3月吉日

長崎には昔からいろんな国の人が住んでいた。そして各国の文化や習慣を大切に尊重してきた歴史がある。この本は、長崎ちゃんぽんのような世界を目指そうと若い読者に呼びかけている。
現在、三浦綾子記念文学館では平和を願う企画展「アノ日、空ノ下デ君ハ何ヲ想フ」を開催である(来年3月21日まで)。終戦75年の今こそ、多くの人に戦争の悲劇と平和、命について考えてほしいと願うものである。

by 三浦文学案内人 森敏雄

参考文献「パンプキン!模擬原爆の夏」(講談社)
※本書は文学館2階の企画展示室でご覧頂けます(「みんなで伝えていこう!戦争を起こさないためのブックリスト」でご紹介していますので、ご参照ください)。

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