【館長ブログ「綾歌」】田辺聖子『おかあさん疲れたよ』と三浦綾子『銃口』 その2

「綾歌」館長ブログ

いよいよ、当文学館分館での企画展示「同時代を生きた作家─田辺聖子と三浦綾子─」が始まります(6月13日(金)〜2026年3月20日(金・祝)まで)。

ご協力いただいた、大阪樟蔭女子大学 田辺聖子文学館さま、東大阪市およびご関係者各位。そして監修にあたられた上出惠子先生に感謝申し上げます。たいへんお世話になりました。

先月に続き、田辺聖子の『おかあさん疲れたよ』(上・下 講談社、1992年→現在は講談社文庫)に触れたいと思いますが、今回は、『氷点』との同時代性に注目しました。

『おかあさん疲れたよ』上巻の「りんごの花ほころび」の章では、60代に入った浅尾昭吾(終戦前日の空襲で爆撃の中を逃げ延びた)が、同様に生き残った旧友たちと、“戦後”についてしみじみ語り合います。終戦まではアメリカ軍の残虐な空襲を直接口にしていたものの、敗戦後、占領軍が入ってきたとたんに「沈黙しはじめた」こと。

その後どんどんアメリカ文化が流入し、空襲の体験を語り継ごうというこころはあっても、政治的な思惑に利用されそうな懸念もあり、ぐずぐずとしてしまったこと。

「空襲を語り継ぐ、というシンプルな作業さえ、ひとすじ縄ではゆかぬ、複雑な戦後史があるのだ」という一文は、それ自体が「シンプル」な一文でありながら、現実的で複雑な庶民感情をあらわしているでしょう。

話題はそこから「終戦後、何にびっくりしたか」となり、昭吾は、〈アメリカ映画やな〉と率直に述べます。戦争映画やハリウッド女優の話が続きますが、そこで、三浦綾子の『氷点』冒頭「敵」のある場面を思い浮かべました。

勝手口に女中の次子と幼い徹の声がした。徹の何かいって笑う澄んだ声がきこえて来た。
(映画から帰ったのか)
そう思いながら啓造は応接室を出て茶の間に行った。夏枝と次子は台所にいるらしく、徹は茶の間のソファに腹ばいになっていた。
「おとうさん、帰ってたの? あのね、おとうさん、ぼくアメリカの兵隊さんになろうかな」
「どうして?」
啓造は、今日の来客は村井にちがいないと思いながら、徹の傍に腰をおろした。
「うん。アメリカの兵隊さんね、とっても勇ましいの。機関銃をダダダ……と射つとね、敵がバタバタ死ぬんだよ」
「ふーん、戦争映画かい」
啓造はいやな顔をした。

三浦綾子『氷点』[敵]より

つい1年前まで「鬼畜米英」と呼んでいたのに、アメリカ映画の迫力ある映像に、幼い徹は「ぼくアメリカの兵隊さんになろうかな」「アメリカの兵隊さんね、とっても勇ましいの」と、何の違和感も持たずに魅了されてしまうのです。

『おかあさん疲れたよ』でも、「とうとうと流入してきたアメリカ映画の、ゆたかさと、内容【なかみ】に、昭吾たち戦後の少年はすっかりビックリしてしまった」「アメリカ映画は、日本人に戦後民主主義を勉強させるのに、とてつもなく有効だったのである」とあり、その覚醒力が、“複雑な戦後史”のスタートを語るものでもあったという証言にもなっています。 『おかあさん疲れたよ』と『銃口』については、また次回に──。

田中綾

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