春日狂想~村上春樹とチェホフから、中原中也へ

映画公式サイト https://dmc.bitters.co.jp/ より

アカデミー賞4部門にノミネートされ、話題を集めている映画『ドライブ・マイ・カー』(濱口竜介監督)。もうご覧になったでしょうか。https://dmc.bitters.co.jp/
村上春樹の短編を原作とした映画で、思い返せば、村上春樹作品に出合ったのは学生時代、『ノルウェイの森』(講談社、1987年)でした。当時は性描写が多いのでやや苦手だったのですが、のち、『ねじまき鳥クロニクル』(新潮社、1994~95年)で、歴史、暴力といったテーマに覚醒させられ、個人的には『海辺のカフカ』(新潮社、2002年)の緻密な構成に感心していました(構造分析するとわかります)。
今回の映画『ドライブ・マイ・カー』は、3時間という長さでもあり、公開当初は正直ためらいが……けれども、時間をやりくりして映画館に向かい、結果は大正解でした。

時間の長さをまったく感じさせないドラマ進行、かつ、すべてがロードマップでつながっているような緻密な脚本。なるほど、これは脚色賞(濱口竜介監督と大江崇允氏)にふさわしいように感じました。
劇中劇としても用いられているチェホフの『ワーニャ伯父さん』のセリフが、物語全体の通奏低音であり、主役を舞台俳優で演出家の「家福」、そしてその亡き妻を脚本家に設定した点も効いています。世界文学という教養がベースになっているので、国際的な評価が高いこともうなずけるでしょうか。
映画では、その家福の妻があっけなく病死してしまいます。その妻にあこがれていた若い男優・高槻の、長い長いセリフ。こちらは、原作からの引用です。

「(略)でもどれだけ理解し合っているはずの相手であれ、どれだけ愛している相手であれ、他人の心をそっくり覗き込むなんて、それはできない相談です。そんなことを求めても、自分がつらくなるだけです。しかしそれが自分自身の心であれば、努力さえすれば、努力しただけしっかり覗き込むことはできるはずです。ですから結局のところ僕らがやらなくちゃならないのは、自分の心と上手に正直に折り合いをつけていくことじゃないでしょうか。(以下略)」
村上春樹「ドライブ・マイ・カー」(『女のいない男たち』文春文庫)

大切に想う人と死別すると、残された者は、罪の意識や後悔にさいなまされます。そんなとき、「僕らがやらなくちゃならないのは、自分の心と上手に正直に折り合いをつけていくことじゃないでしょうか」と。
「上手に正直に折り合いをつけ」ることは、サバイバル・コンプレックスを少しでも軽減させる方法でもあるのでしょう。

加えて、『ワーニャ伯父さん』のラスト第4幕の、ソーニャの有名なセリフにもしみじみと心を動かされます。さまざまな絶望、試練を伯父のワーニャと共有したあとの、長いセリフです。

「仕方ないわ。生きていかなくちゃ……。長い長い昼と夜をどこまでも生きていきましょう。そしていつかその時が来たら、おとなしく死んでいきましょう。あちらの世界に行ったら、苦しかったこと、泣いたこと、つらかったことを神様に申し上げましょう。そうしたら神様はわたしたちを憐れんで下さって、その時こそ明るく、美しい暮らしができるんだわ。そしてわたしたち、ほっと一息つけるのよ。わたし、信じてるの。おじさん、泣いてるのね。でももう少しよ。わたしたち一息つけるんだわ……」
Wikipediaより引用

「長い長い昼と夜をどこまでも生きていきましょう。」――観終わったあと、私には不思議な感動が起こっていました。村上春樹と、チェホフの『ワーニャ伯父さん』を補助線として、中原中也の詩がふいに浮かんできたのです。
村上春樹とチェホフと中原中也? 全然接点がないのに、と思われるかもしれません、私自身、これまで、そのような発想を持ったこともありませんでした。ところが、『ドライブ・マイ・カー』を観たあと、私のもっとも愛誦する中也の詩「春日狂想」が、ぐっと迫ってきたのです。

春日狂想           中原中也

 1
愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、業(?)が深くて、
なほもながらふことともなつたら

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。
 (略)

 3
ではみなさん。
喜び過ぎず、悲しみ過ぎず、
テムポ正しく、握手をしませう。

つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
テムポ正しく、握手をしませう。


        現代詩文庫『中原中也詩集』思潮社より

この詩は、厳密には全文を読まなければ味わえないものですが、「愛するもの」に先立たれ、残されてしまった人間の生き方(喜び過ぎず、悲しみ過ぎず、/テムポ正しく、握手をしませう。)、自分自身との折り合いのつけ方が、けっして表層的なものではないことにあらためて気付かされました。ある作品が、思いがけずほかの作品の深い理解を喚起させることを実感できた思いです。

老婆心ながら――現在、『ドライブ・マイ・カー』は映画チャンネルなどでご自宅で鑑賞もできますが、その際には3時間ノンストップで観られる十分な時間確保がお勧めです。また、鑑賞時にはお子さんを近づけないこと(!?)もお勧めいたします。

田中 綾

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