『天北原野』( 三浦綾子小説作品 はじめの一歩 )

“はじめの一歩”とは?

三浦綾子の作品を〝書き出し〟でご紹介する読み物です。
気に入りましたら、ぜひ続きを手に入れてお読みください。出版社の紹介ページへのリンクを掲載していますので、そちらからご購入になれます。紙の本でも、電子書籍でも、お好きなスタイルでお楽しみくださいませ。物語との素敵な出会いがありますように。

三浦綾子記念文学館 館長 田中綾

小説『天北原野』について

連載 … 週刊朝日1974年11月〜1976年4月
出版 … 朝日新聞社1976年3月(上)1976年5月(下)
現行 … (上下2巻)新潮文庫・小学館電子全集
日本海に面した漁村から、稚内わっかない樺太からふとまでを舞台に描いた現代小説。時は大正12年。小学校教師の孝介は、棟梁の娘・貴乃と結婚の約束をする。原野に咲くエゾカンゾウのように美しい貴乃との幸せな暮らしを夢見るが、突如災難が降りかかった。

「エゾカンゾウ」

   一

 菅井すがいのお貴乃きのを見ろ、まだ十七だが、お貴乃は帯の結び方ひとつ、えりの合わせ方ひとつ見ても、ほかの娘とはちがう、とハマベツ部落の若者たちは噂しあった。
 その噂の主、菅井貴乃は、いま池上いけがみ孝介こうすけに一歩遅れて、ゆっくりと砂山を登って行く。砂山は昨日までの雨に固くしまっていて、二人の下駄の跡がくっきりと深い。貴乃の、紫の銘仙のすそからのぞく素足が、はっとするほど白かった。砂山のところどころに、砂鉄が黒い流線を描いていた。
 ハマナスの花の一群が風に揺れている。その向こうに、七月の太陽にきらめく海があらわれた。砂山を登るにつれて、海は広くなる。登りきると、足もとは熊笹くまざさにおおわれた崖で、眼下にハマベツの海岸部落があった。
 こんぶを干した黒い浜が見える。浜に沿って、細い道がうねっていた。道の両側に、小さな家がまばらに立っている。潮風にさらされた柾屋根まさやねが白茶けていた。
 貴乃の住む台地の部落も豊かとはいいかねた。が、小学校や、寺や、製材所などの大きな建物があって、戸数も多い。海と崖にはさまれた帯のような浜の部落とはちがって、一里ほど向こうの低い山並みまでは原野がひろがる。低い山並みの向こうには、更に遠い山々が重なり、その果てに天塩山脈てしおさんみゃくが南北に走っている。
「まあ、こんなにたくさん?」
 貴乃が驚きの声をあげた。その声に、孝介は白がすりのたくましい肩をねじるようにふり返った。
 崖ぶちの草の中に群がり咲く橙色だいだいいろの花を、貴乃は指さした。花弁が百合に似たエゾカンゾウである。ハマナスのように、はでやかな色ではないが、明るい花だ。
 陸からの風が、二人の間を通りぬけた。この暖かい風をヒカタ、逆に海から陸に吹く寒い風をヤマセと、この土地の人は呼ぶ。
「感じのある花ねえ」
「感じのある花? お貴乃さんもそう思う? ぼくもだよ。真実のある感じでね、ぼくも好きなんだ」
 部落の、ほかの若者たちとちがって、孝介は標準語も話す。そんなことも貴乃には好ましかった。
「真実?」
「そう。花にはどこか、だますところがあるからね。まるまる信用ができないんだ。このきれいなハマナスにだって、トゲがあるしね」
「まあ」
「だが、このエゾカンゾウの花は、素朴で真実で、そして気品があって、誰かさんみたいだ」
 孝介はちらりと貴乃を見た。
「あら」
 ほおをあからめて、くるりと背を向けると、風が貴乃の裾を乱した。孝介がまぶしげにまばたきをした。濃い眉の下のその目が、深々と澄んでいる。
「孝介の目はおっかねえ。おらの心なんか、見透しているようだもんな」
 孝介は小学生のころから、大人からも友だちからもそういわれてきた。その深い目が貴乃は好きなのだ。いつまでも見飽きぬ目だ。
 孝介はだまって海を見た。貴乃も並んで海を見た。はるか水平線に、黒い船影がひとつ、一の字に見える。左手の海に眉毛島と呼ばれる天売てうり焼尻やぎしりの島が眉のように並び、遠く右手の沖には、裾をひく利尻岳りしりだけが、くっきりと海の上に浮かんでいる。輝く太陽の下に、みどりの海が明るい。日本海に面する北国のこのあたりでは、七月が一番明るい季節なのだ。
 この砂山は、孝介の家の地つづきにある。家のすぐ裏に、植えて何年も経たない丈低い落葉松からまつが百本ほどあり、そこを通りぬけると、すぐこの砂山なのだ。他の人はほとんど来ない場所だが、口うるさい部落の人々の目をさけて、二人が会うのはいつも夜だった。こんな明るい日の下で会うことはめったになかった。
「ね、貴乃さん」
 腕組みをして、海を見ていた孝介がふり返った。
「なあに?」
 いつも微笑を含んでいる貴乃のきれ長な目が、まっすぐに孝介に向けられた。
「実はね、昨夜、おやじとお袋にお貴乃さんのことを話したんだ」
「まあ、ほんとう? それで?」
 一瞬、貴乃の微笑が消えた。
「うん。ぼくも叱られることは覚悟していた。何しろ、まだまだ日本ではね、恋愛を何かみだらなことのように思っているからねえ。この海の向こうのロシヤじゃ、もう六年も前に革命があったっていうのに……」
「それで、やっぱり叱られたの?」
「いや、それがね、相手がお貴乃なら文句はないってね、大した喜んでくれて……」
「まあ、本当? 校長先生が喜んでくれたの?」
 貴乃は無邪気に喜びの声を上げた。
 孝介の父・池上太郎が、名寄なよろからこのハマベツの小学校に転任して来たのは、明治天皇崩御ほうぎょの年だから、もう十二年にもなる。
 八の字ひげを鼻の下にたくわえ、ひどく姿勢がよい。いつも反り身になって歩く。校長といっても、一年から高等二年まで、わずか四学級。百三十八人の生徒しかいない小さな小学校の校長だ。そのうち、ハマベツの生徒は八十人余りで、ほかは近在の幾つかの小さな部落から通ってくる。
 孝介の父は、よく生徒たちにこういって聞かせる。
「池上次郎っつうのが、『源平盛衰記げんぺいせいすいき』に出てくるがの。先生は池上太郎だから、ず、その兄貴株ってえところだな」
 生徒たちは、『源平盛衰記』が何か、池上次郎が源氏方げんじがた平家方へいけがたか、知りはしない。が、その名は一年生でも覚えている。
 また校長はこうもいう。
「徳川幕府の時代に、池上太郎左衛門っつうどえらい名主がいての。製糖法、つまり砂糖のつくり方を完成したのは、実にこの男なのだ」
 それで、生徒たちは何となく「おれたちの校長先生は大したえらい先生だ」と思っている。事実池上校長は博識で温厚だから、部落の人々も心服している。
 孝介は、旭川あさひかわ中学を卒業後、父の学校の代用教員をして四年になる。ちょうど中学を卒業する三月、ハマベツ小学校の初老の教師が、心臓マヒでぽっくり亡くなった。四月の新学期を控えて、汽車も通らず電灯もないこの僻地へきちのハマベツに来てくれる教師を、早急に見つけるのは困難だった。そこでとりあえず、孝介がかり出されたのである。
「おやじがねえ、ほんとにお貴乃は嫁に来てくれるのかってね、喜んでね。だが、問題はお貴乃のおやじさんじゃと、心配もしていたけれど……」
「うちのお父っつあんは、あのとおり変わりもんだから?」
 お貴乃はほつれ毛を、形のよい耳にかきあげながら、あどけなく笑った。
「いや、変わりもんというより、名人かたぎというのかな」
 貴乃の父菅井兼作すがいけんさくは大工の棟梁とうりょうである。が、もともとは秋田出身の木挽こびきで、杣夫そまふもした。造材万般にわたって明るく、特に山を見る才があった。
 山を見るとは、つまりひと山から、どれだけの材木をり出せるか、その石数こくすうをつかむことである。木材業者が山の立ち木を買う時、その山の立ち木石数や、原木にした時の歩止ぶどまり等をよく判断できなければ、損をする。例えば、一万石いちまんごくしか材積がない山を、一万三千石は優にあるといわれて、そのまま取引をすれば、買い手は大損をするわけである。当時、官林からの払い下げは別として、木材の売買には、様々な駆け引きや、悲喜劇があった。
 貴乃の父・菅井兼作には、その点天与のともいえる才があった。須田原すだわら製材の須田原伊之助いのすけはいう。
「菅井のおやじはな、沢に立って、こう、かなつぼまなこをじっとこらしてな、山を見るんじゃ。そんどきのおやじのこんめえ(小さい)体がよ、こう、ぐっとでかく見えるもんなあ。ややしばし、じっとみつめていたおやじがな、こう、腰から鉈豆なたまめギセルを出してな。キザミを太え指でゆっくりとつめてよ。さて火をつけるとな、『ま、この山あ、一万石だあな』と、なんでもねえ顔で、キセルを口にくわえるんだ。これがピタリだ。二十石と外れたこたあねえ。あれが本当の天才っつうもんだな」
 山を見ること神のごとしといわれるこの貴乃の父は、至って無欲である。山師といわれる木材ブローカーになれば、大金が手に入るのは目に見えているが、決してそれはしない。人に頼まれて山を見ても、かなりの金にはなる。が、これも気が向かなければ、決して腰を上げない。針の先ほども欲がないのだ。
 棟梁としての腕もいい。須田原製材の住宅建築のため、小樽おたるからハマベツに来たのは五年前である。それ以来、どこが気に入ったのか、この片田舎に住みつくようになった。この時の二階建ての建築が見事だという評判で、稚内わっかない留萌るもいのほうからも建築を頼まれることがある。が、兼作の腕はいいが、棟上むねあげに神主かんぬしを呼ぶのを嫌うという評判が立った。
 事実兼作は、
「切った紙をパサッパサッと振ったぐらいで逃げて行くようなもんは、魔でも何でもあんめえ。魔よけもおはらいもただの気休めだべ」
 と、にべもない。第一、自分の家に神棚もない。
「神棚に乗っかるような、こんめえ神さんによ、図体のでっけえ人間が、なに頼むことがある」
 で、人々は、
「腕はたつども、偏屈もんでや」
 と陰口を叩く。
「孝介さん、大丈夫よ。うちのお父っつあんはね、自分の一生のつれあいを、人に探してもらおうなんて思うなって、いつもいってるぐらいだもの」
「それは偉い! このハマベツに、そんなことをいえる親はありませんよ。それなら、もう安心だ」
「そうよ、大丈夫よ」
「うちのおやじはね、いずれにしろ、一応は誰か仲人を立てなければなあってね。須田原製材の大将に頼もうかといっていたけれど」
 貴乃はうなずいたが、なぜかふっと顔がかげった。それには気づかず、孝介は、
「じゃ、これで決まった。式は十一月の明治天皇様のお誕生日がいいって、おやじはいっていたけれど、いいね、お貴乃さん」
「ええ」
 足もとの崖に群れ咲くエゾカンゾウをみつめながら、貴乃はこっくりとうなずいた。
 この日のエゾカンゾウの花を、貴乃は生涯忘れることはできなかった。

   二

 盆の八月十六日、須田原製材工場は休みである。いつも絶え間なくひびくモーターのうなりも、きょうは聞こえない。
 工場から百メートルほど離れた所に、須田原の家があった。部屋が十二もある二階建てのがっしりした家だ。羽幌はぼろ天塩てしおまで行けば、旅館や大きな店屋は二階建てである。だが、このハマベツや近在には、二階建ての家は須田原の家のほかには一軒もない。それで人々は、須田原の家を「二階家にがや」とも呼んだ。「二階家」を建てた棟梁は、貴乃の父の菅井兼作だった。棟上げの日に、須田原伊之助は、紅白の餅を三俵もいた。その日には、ハマベツの者たちは大人から子供まで、歩ける者は一人残らず餅ひろいに来た。近辺の部落からも、小学生や若者が集まってきた。その群集に向かって、二階から餅をまいた。紺のハッピにももひきをきりりとはいた若衆が五人、
「ほうら」「ほうら」
 とかけ声をかけて餅をまいた。
「あれは豪勢なもんだったなあ。赤と白の餅っこの雨が、バラバラと降っできてな」
 ハマベツの人たちには、五年たった今も思い出話に残る事件であった。
 いま、その二階建ての十畳の茶の間で、伊之助と、次男の完治かんじが、さしむかいで酒を飲んでいた。
「盆でも、こんな暑い日は珍しいな」
 九谷焼くたにやきの金地に、朱の小菊を散らした銚子を傾けて、伊之助は自分のさかずきに酒をついだ。はだけた浴衣から、濃い胸毛がのぞいている。
「これぐれえの暑さだら、年中続いてもええ」
 完治は茶ぶ台に片ひじをついたまま、小丼こどんぶりにこんもりと盛られたウニにはしをのばす。ウニのほかに、アワビの刺し身、キュウリの酢の物、こんにゃくと野菜の煮つけが並んでいる。ウニの小丼も、刺し身の皿も安物で九谷の銚子や盃とは、ひどく不釣り合いだ。不釣り合いといえば、一等材を惜し気もなく使ったこの部屋の、黒い砂壁の床の間に掛けられた虎の絵が、いやに貧弱である。
 台所から、魚を焼く匂いが流れてきた。伊之助の妻のフクが、七年前からいる勝手働きのトメに、
活動写真かつどうは、八時からだったっけ?」
 といっている声が聞こえてくる。今夜は小学校の運動場で、「忠臣蔵ちゅうしんぐら」が上映される。暗幕がないので、暗くならねば始まらないのだ。
 トメが焼き魚を茶ぶ台の上において去った。まだ六時半を過ぎたばかりだ。他の者たちは、台所で夕食を終えたが、主人の伊之助と完治は、いつもこうして、あとまで酒を飲んでいる。
 離れからバイオリンの音が流れてくる。完治の兄が弾いているのだ。
「完治、校長んとこの孝介がな」
 孝介と完治は小学校で同級だった。孝介は旭川の中学を出たが、完治は学校が嫌いで、小学校卒業後は父の製材の仕事を手伝っていた。
「孝介? 孝介がどうかしたかい」
「うん、あれが嫁っこをもらうそうだ。校長に仲人を頼まれてな」
「へえ、孝介が嫁をもらう? それは初耳だ。で、どこからだい」
「どこからだと思うな」
「そうだなあ。札幌さっぽろがらか」
 札幌には孝介の長姉や次姉も嫁いでいるのだ。
 当たったろうというように、完治はにやっと笑った。笑うと、まなざしの険しさが消えて、急に人なつっこい顔になる。
「いんや、このハマベツだ」
「ハマベツ? どの娘だ」
「ほら、お前もよく知ってるお貴乃よ」
「なに!? お貴乃? お貴乃だと?」
 声が大きかった。
「どうだ、完治、おどろいたろうが」
 伊之助は、完治が単純に驚いたものと思った。が、顔がこわばっているのを見ると、伊之助はその大きな目をちかりと光らせ、刺し身の皿を手前に引きよせた。
 と、突然完治の眉がピリリと上がって、
「うるせえ! バイオリンなんど、ぶち割ってしまえ」
 と怒鳴った。
 ピタリとバイオリンの音が止んだ。
 台所の母のフクとトメの話し声も途絶えた。離れのほうから、妹のあき子が廊下をぱたぱたと走ってきた。あき子は六年生だ。
 茶の間の入り口に突っ立ったまま、あき子は赤い唇をとがらせた。いどむようないきいきとした目だ。
「完治あんちゃんのばか。またヤマセ吹かせて!」
 いい捨てると、あき子は達吉の部屋のほうにかけ去った。
 完治はあき子がかわいい。どんな時も叱ることができない。
「お前、お貴乃がほしかったんだな」
 低い声で伊之助はいい、色よく焼けたカレイの身を器用にはいだ。
「…………」
「完治、ほしけりゃ、手に入れろ。ほしいもんを手に入れるのが、男っつうもんだ」
 こともなげに伊之助はいった。

   三

 (ほしけりゃ、手に入れろ?)
 むっつりと黙りこんだ完治は、上目づかいに父の顔をうかがった。
 父の伊之助は、孝介と貴乃の縁談のとりまとめを頼まれた仲人ではないか。その仲人が、貴乃をほしけりゃ、手に入れろと息子の自分にいったのだ。
 やがて六十に手の届こうとする年だが、伊之助はしわの少ない赤ら顔をてらてらと光らせて、精力的だ。禿げ上がった額にも、しみひとつない。
 完治はふと、ハマベツの者たちの、
「須田原製材は、なまずっこいことをして、金をもうけた」
 という陰口を思い出した。
 伊之助が十七歳で単身北海道に渡り、四十になるかならぬかで、一応の財を成したことは、完治も知っている。
 伊之助からは、浜に打ちあげられている昆布を食って飢えをしのいだ渡道当時の苦労話は聞いている。が、どのように「なまずっこいもうけ方」をしたかは、聞いていない。具体的には、誰からも聞いていないのだ。だから、「なまずっこいもうけ方」というのも、成功者への単なるねたみによる陰口だとしか、思ってなかった。それが今不意に本当のことに思われたのだ。
「わかったか、完治。ほしいものを手に入れるのが、男っつうもんだ。狙ったものは食いついて離すでねえ」
 くり返して伊之助はいった。
「うん」
 貴乃のしなやかできりりとした体つきを思いながら、完治は深くうなずいた。焼きカレイをつついていた伊之助が、
「うめえかれえっこだ。ま、食うこった」
 と笑った。
「うん……」
 完治は、孝介の秀でた眉と深々とした目を思い浮かべた。
(その上、あいつは、旭川の中学出だもんな)
 ハマベツで中等学校を出ているのは、池上孝介と兄の達吉ぐらいである。完治は自分と孝介をくらべてみた。
「どうした。元気を出せ。お前は、この須田原製材の後とりでねえか」
 完治は次男である。長男の達吉はたった今まで自分の部屋でバイオリンを弾いていたが、完治に、
「バイオリンなんど、ぶち割ってしまえ」
 とどなられて、ピタリと音をひそめた。
 須田原の家は、父伊之助も、祖父も曾祖父も、代々一人息子であった。それぞれに女きょうだいは、三人または五人と育ったが、どうしたことか男の子は、三歳まで育つことなく夭折ようせつし、一人しか残らない。
「誰ぞ先祖に、女ごをいびった男でもいて、それでたたられているんじゃろう」
 親戚の者がいったのを完治は聞いたことがある。それが、伊之助の代になって、はじめて男の子が二人無事に育った。といっても、兄の達吉は生来病弱で、三歳の時急性肺炎で危うく死ぬところであった。徴兵検査も丙種へいしゅで、いつもか細い胸をかばうように、前こごみの姿勢だった。
 が、弟の完治は、兄と対照的であった。赤ん坊の時から固肥りで、風邪ひとつ引かずに育った。声も大きく、力も強く、金太郎と仇名あだなをとった。
 海にもぐるのも、誰よりも上手で、息も長かった。底まで見えるきれいな磯海にもぐって、人の倍もウニやツブをる。そしてそれを、幼い子たちや級友たちに惜しげもなく与えた。き火に腹をあたためながら、長いとげのうねうね動くウニを、石でバシッと割ってすする時、子供たちのガキ大将はいつも完治だった。
 完治はまた、気が向けば「かねさ」の店に友だちを引きつれて行った。「かねさ」はハマベツで一番大きな店だ。米、みそ、醤油から、荒物一般、履物、菓子、ラムネ、メンコに至るまで売っている。
 金を持たなくても、「かねさ」では完治のほしいものは何でもくれた。むろん、それは子供の買い物の範囲内に限ったが。ここで、メンコやラムネを完治は子供たちに振る舞った。気前がよいようだが、完治にしてみると、ウニやツブは海に無尽蔵にある。店の買い物も、彼自身のふところが痛むわけではなかった。
 完治は、磯舟をあやつるのも、これまたうまかった。その上声がよい。をこぎながら、

  鰊きたかと カモメにきけば
  わたしゃ立つ鳥 波に聞けチョイ
  ヤサエエンヤサアノどっこいしょ
  アアどっこいしょ どっこいしょ

 風に乗って完治の歌声が聞こえてくると、まろみのあるその声に人々は聞きほれた。特に、「ヤサエエンヤサアノ」というところの節まわしに独特のつやがあった。
 そんなわけで、完治は少年の頃から人気があった。生来ガキ大将の素質もあった。しかも、完治はハマベツの有力者須田原伊之助の息子である。「二階家」の息子である。
 伊之助もフクも、ひ弱な長男の達吉は若死にするかも知れぬとあきらめていた。二人は、須田原家には、代々男の子は一人しか育たぬものと、思いこんでいたのだ。その諦めた分だけ、完治は寵愛ちょうあいされて育った。その上、
「お前は後つぎだからな」
 と、公然と言い聞かされてきたのである。完治が兄をないがしろにし、わがまま一杯に育ったのは当然であった。ふだんは陽気にさわいで好かれもしたが、一旦自分の気に入らぬことがあると、ひどい癇癪かんしゃくを起こした。
 小学校二年の時、何かで腹を立て、級友を椅子ごと押し倒して腕を骨折させた。また四年生の時には、教室のガラスを十枚もデレッキ(鉄の火かき棒)で叩き割ったことがある。
 この癇癪を、友人たちは、「完治のヤマセ」といって恐れた。ヤマセと呼ばれる強風は、波を荒れ狂わせるのだ。この「完治のヤマセ」は二十三歳の今に至るまで、時々吹き荒れてきたのだ。
 完治は貴乃が好きだった。いつも微笑をふくむ目や、着物をすっきりと着るあかぬけした姿が好きだった。きびきびとした体の動きや、働き者のところも好きだった。
 が、完治は貴乃を自分のものにしようとは、ついぞ今日まで思ったこともなかった。
 例年、正月には村の若い男女が招かれて、須田原家主催のかるた大会に集まる。招かれるといっても、場所は小学校の教室である。このかるた会に賞品が出る。一等のチームには浴衣が当たる。正月の賞品に浴衣は不似合いのようだが、そうではない。夏になってその浴衣を着ると、
「これ、かるた会でもらった浴衣でや」
 と、半年以上も前のことを誇ることができるのだ。どんじりのチームにも、砂糖が一斤いっきん当たる。夏の角力すもう大会にも、須田原伊之助の賞品は出るが、出場者は男だけである。が、かるた大会には娘も参加できる。それに、若い男女が大っぴらに肩を並べて遊べるのは、この時ぐらいのものだ。それ以外は、道で会っても、目礼するか、一言二言、挨拶の言葉を交わすぐらいである。ちょっと長話をすると、もう人の口がうるさいのだ。
 だから、賞品が出ても出なくても、村の若い男女には、須田原のかるた大会は、年中で最も楽しい日であった。一年間自由に語り合えなかった分をとり返すように、みんな遠慮のない口をきく。それでこの日にぐっと親しみがく。
「おい、お雪、お前まだ嫁に行かねえのかや。もらい手がなけりゃ、俺がもらってやっか」
「だあれが、あんたなんかの嫁になるべ」
 そんなかるた会のふんいきの中でも、完治は貴乃にだけはたやすく話かけることができない。他の娘になら、かるた会の日でなくても、完治は割合気やすく話しかけるほうだ。それが、貴乃には話かけられない。会ってもなぜかぷいと顔をそむけてしまう。貴乃が同じ組になって、隣になど坐られると、体が固くなる。自由にかるたを取ることができない。
 だから、この貴乃と結婚しようなどと思ったことはなかった。「かねさ」の竹子なら、もらっていいと思う。竹子は商店の娘らしく気さくだ。顔も下ぶくれで愛らしい。胸がこんもりと高くて、いつも帯が苦しそうだ。何となく、その帯をゆるめてやりたいような親しみを感ずる。しかし貴乃は別格なのだ。第一、貴乃と結婚しようなどという大それた男が、ハマベツにいるとは思わなかった。それなのに、同級だった池上孝介が貴乃をもらうという。
(不届きだ!)
 と思った。だが、考えてみると、孝介と貴乃なら似合いの夫婦のような気がする。
 孝介は小学校の時から、
「絵にかいた坊ちゃまみたいに、おどなすい」
 といわれ、無口で読書好きだった。成績はいつも一番で、旭川中学でも副級長をしたことがあった。小学生のころから、父親に英語をならっていたし、第一、間違っても自分のようにずるけ休みをしたことがない。その上、顔立ちがどことなくちがう。東京にでも行かなければ、見られないような顔立ちだと完治は思う。
 孝介は生まれが内陸の名寄で、中学の五年間の生活も旭川だったから、浜弁も使えるが、なまりのない標準語もつかう。
 いくら角力が強く、泳ぎや舟をこぐことが上手でも、それらは貴乃にとって、何の魅力にもならないように思われる。もっとも、完治のほうが、級友たちには人気はあった。が、孝介は誰からも尊敬され、信頼されていた。
(やはり奴にはかなわん)
 到底かなわないと思う相手が、同級の孝介であることにも、完治は腹が立った。自分には手の届かぬ花であると思っていた貴乃を、嫁にしようとするその心根が許せない気がした。
 完治はいま、孝介が貴乃をめとると聞いて、にわかに貴乃を自分のものにしたい衝動にかられた。
「お父っつあん」
 完治は目を上げて父を見た。
「何だ」
「欲しけりゃ自分のものにしろと、お父っつあんはいったども……」
「すればいい」
「といっても、どうしたら……」
「手段はえらぶな」
 きっぱりと伊之助はいった。
「手段はえらぶな?」
「そうだ。金がほしけりゃ金を手に入れる。女がほしけりゃ女を手に入れる。それが男だ。要するに手に入れればいいんだ」
「そんだこといったって、どうしたら……」
「自分で考えろ」
 伊之助は突っ放すようにいい、台所に向かって、
「酒を持ってこい」
 と叫んだ。

   四

(どうしたのだろう)
 貴乃は柱時計を見た。とうに正午を過ぎている。父の兼作はまだもどらない。いつもなら、もうひる飯を食べにもどる時刻なのだ。
「おっかさん、お父っつあん遅いから、迎えに行ってくるわ」
 縁側に立って、貴乃は母に声をかけた。
 赤や黄のダリヤの咲く庭先で、母のつたが張り板の上にかがみこんで、張り物をしている。日本手拭いを姉さんかぶりにしたその頭に、芸者トンボがとまっては離れる。
「ああ、ご苦労だね」
 つたは手を休めずにいった。
「おっかさんも、もう入ったら?」
「ああ、そうするかね」
 貴乃は赤いたすきをはずしてまるめ、紺がすりのたもとに入れると、柱時計の下の「かねさ」の印のある細長い鏡に、はいからまげの髪を映して家を出た。
 この頃、父の兼作は浜の仕事場で舟をつくっている。棟梁といっても、このハマベツあたりで、そうそう建築仕事があるわけではない。暇な時は磯舟づくりもする。長さ二十三尺、幅三尺の磯舟を兼作は二日で仕上げる。仕事が早いのだ。この一隻の大工賃が四円だった。兼作の仕事は早くて堅いから、注文はあちこちからくる。天売や焼尻の島から注文がある時は、出来上がった舟を廻送かいそうする。廻送賃は二円五十銭であった。
 廻送する時は弁当を持って行く。兼作は今朝、弁当を持たずに家を出た。
(どうしたのかしら)
 砂地に足の埋まる小道を、貴乃は歩いて行った。ハマベツは高台も砂地が多い。長い年月の間に、風に運ばれてきたのだろう。
 澄んだ青空のひとところに、いわし雲が出ている。つぶらなハマナスの赤い実が、一面に日に光る原を過ぎると、浜に下る坂道だ。すすきがそよぎ、虫の声がするだけで、波の音も聞こえない。ひっそりとしたま昼だ。
 と、カーブした小道の向こうに、ゆっくりと登ってくる完治の姿が見えた。完治がちょっと立ちどまったように見えた。貴乃は足早に降りて行く。道の両側が次第に熊笹になる。いつ会っても、顔をそむける完治なのだ。貴乃はちょっと気が重かった。理由もなく嫌われているように思うのだ。
 二人の距離がちぢまった。十五メートル、七メートル、二メートルのところまで来て、貴乃はいつものように小腰を屈めて頭を下げた。また完治が顔をそむけて過ぎ去ると思った。が、今日は完治は立ちどまった。今まで、そんなことは一度だってない。貴乃はちょっと戸惑った。小道の真ん中につっ立っていられては、完治の横をすりぬけることもできない。
 完治は貴乃をみつめた。
「お貴乃さん」
 のどにたんがからまったような声である。
「なあに?」
 完治が何か口の中でいった。
「話? 話ってなあに? いま、お父っつあんがおひるにもどってくるので、迎えに行くの」
 貴乃はそういうと、完治のそばをすりぬけた。道端の熊笹が、がさごそと体にふれた。
 駆けるように坂道を下り、振り返ると、完治が立ってこっちを見ていた。何となく不気味だった。
 貴乃は浜を駆けて行った。舟の中にかがんでいた兼作が立ち上がった。仕事場は七間に五間の吹きぬけだ。
「何だ、もう、そったら時間か」
 貴乃を見て兼作は相好そうごうを崩した。
「お父っつあん、どうしたの。あんまり遅いんだもの、心配したわ」
「心配なんぞ要らねえ。ちょっと新工夫をこらしていたんだ」
 兼作は腰からキセルを取り出した。
「お父っつあんたら、舟をつくるんでも、家をつくるんでも、同じぐらいこんをつめるんだから」
「そりゃあ、おめえ」
 と、一服深く吸ってから、
「仕事に大小があっか。舟は大事な命を乗せるんだ。念を入れ過ぎるということはあんめえ」
「そりゃ、そうだけど……あんまり真剣だもの。体が心配だわ」
「お貴乃。お父っつあんはな。家を建てるも小屋を建てるも、同じぐらい真剣にやらにゃなんねえと思っとる」
「あら、小屋も家も同じなの」
「ああ、そうだとも、よくおばばがいったもんだ。ふだんこんめえことに真剣でねえもんは、でっけえことに向かった時、何もできねえ。ここ一番とけっぱってみても、何もできやしねえ。毎日のこんめえことが、大事だぞってな」
 おばばとは兼作の母のことで、もう何年も前に死んでいる。
「なるほどねえ」
 うなずきながら、いま会った完治の様子が、貴乃は妙に気になっていた。

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