『ちいろば先生物語』( 三浦綾子小説作品 はじめの一歩 )

“はじめの一歩”とは?

三浦綾子の作品を〝書き出し〟でご紹介する読み物です。
気に入りましたら、ぜひ続きを手に入れてお読みください。出版社の紹介ページへのリンクを掲載していますので、そちらからご購入になれます。紙の本でも、電子書籍でも、お好きなスタイルでお楽しみくださいませ。物語との素敵な出会いがありますように。

三浦綾子記念文学館 館長 田中綾

小説『ちいろば先生物語』について

連載 … 週刊朝日1986年1月〜1987年3月
出版 … 朝日新聞社1987年5月
現行 … (上下2巻)集英社文庫・小学館電子全集
イエス様を乗せて歩く小さいろばであろうとした破天荒な牧師榎本えのもと保郎やすろうの生涯。敗戦と絶望の日々に神と出会い、世光教会開拓、アシュラム運動へと進んだ彼のダイナミックな人生の根幹は、神の言葉への聴従であった。

「序章」

「ちいろば先生」の名を、その時、私はまだ知らなかった。その時というのは、昭和四十四年(一九六九年)の正月の頃を指す。その頃私は、体調を崩していた。どうやら子宮がんらしいと言うので、札幌さっぽろの病院に受診に出かけて行った。三浦も心配して同行してくれた。
 婦人科の待合室には、女性たちがあふれていた。見るからに疲れ切った中年の婦人や、病人とも見えない若い女性たちが、一様に不安な表情を見せて黙りこくっていた。そんな女性ばかりのいる待合室に、長時間一人で待っているのは、気恥ずかしくはないかと、診察室に入る前に、私は三浦に尋ねた。
「いや、大丈夫。昨日送って来た本を読んでいるから……」
 三浦はポケットから小さな本を出して見せた。が、やはりその顔は不安そうであった。
 診察室には幾人かの患者が待っていた。かなり重症の患者もいて、私の診察が終わるまでに、思ったより時間がかかった。結果は、精密検査を要するので、もう少し待つようにとの、あまりうれしくない診断であった。時間も取ったことで、三浦がさぞ心配していることだろうと、私は診察室を出た。本を読んで待っているなどと言ってはいたが、妻が癌か否かの瀬戸際である。おそらく、落ちついて本など読んではいられまいと、私は内心そう思っていた。が、私の予測は見事に外れた。三浦は、私がそばに近づいても気づかぬほどに、一心に読みふけっている。私が声をかけると、三浦は顔を上げて言った。その第一声は、当然、
「どうだった?」
 で、あるべき筈であった。が、三浦の言葉は思いもかけない言葉であった。
「綾子、これはいい本だ。早速綾子も読んだらいいね」
 私はいささかむっとした。三浦には、私が癌であるか否かは全く問題ではないのかと思った。が、待てよ、と思った。三浦は、私が肺結核とカリエスで、ギプスベッドに血をいている頃、私の目の前に現れ、それ以来私を見舞いつづけた。そして、私がえるまで幾年も待ってくれた人である。しかも、結婚以来毎日のように指圧をし、痛い所には一晩中でも手を当ててくれる優しい夫である。常々私の健康については、当の私以上に心配してくれる人である。その三浦が、受診結果を問うよりも先に、この本を読めと言った。三浦の心の中に、僅かな時間のうちに何かが起こったとしか、考えようがない。私はしぶしぶと、
「それ、何という本?」
 と尋ねた。
「『ちいろば』という本だよ」
 私はここで初めて、「ちいろば」という言葉に出あったのである。
(『ちいろば』? 妙な題!)
 そんなものは絶対に読まない、と中っ腹の私はそう思った。が、その本が妙に気になった。私は、精密検査を受けなければならないと三浦に告げた。が、三浦は実に晴ればれと明るい顔で言った。
「大丈夫だよ、綾子、万一癌だとしても、祈って神様に治していただこう。神様にとってはね、風邪を癒すことも、癌を癒すことも、同じなのだよ」
 三浦の言葉も表情も確信に満ちていた。
(やっぱり、この『ちいろば』とやらの仕業にちがいない)
 私は三浦の持つ小さな本に、あきれたような一瞥いちべつを浴びせた。著者名は榎本えのもと保郎やすろうとあった。

つづきは、こちらで

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