『この重きバトンを』( 三浦綾子小説作品 はじめの一歩 )

“はじめの一歩”とは?

三浦綾子の作品を〝書き出し〟でご紹介する読み物です。
気に入りましたら、ぜひ続きを手に入れてお読みください。出版社の紹介ページへのリンクを掲載していますので、そちらからご購入になれます。紙の本でも、電子書籍でも、お好きなスタイルでお楽しみくださいませ。物語との素敵な出会いがありますように。

三浦綾子記念文学館 館長 田中綾

小説『この重きバトンを』について

ジュニア・ライフ1969年8月
出版 … 『雨はあした晴れるだろう』北海道新聞社1998年7月
現行 … 『雨はあした晴れるだろう』三浦綾子記念文学館復刊シリーズ・小学館電子全集
年をとってからできた息子への、父からの手紙。つらく厳しい奉公生活で、生きがいとなった看病。しかし徴兵され戦地へ。病に苦しむ一人の女性を愛して支えた半生を振り返りながら、息子にも自分の人生を大事にしてほしいと願う気持ちを切々と綴る。

「まちがっていた私」

 小島こじま鶴吉つるきちは、二百坪ほどある芝生に、ホースで水をやっていた。ステテコ一枚の鶴吉のうしろ姿が、夏の陽の下に、七十二歳とも思われない若々しさを感じさせた。
 ホースからほとばしり出る水が、弧を描いて芝生をぬらしていく。かわいた芝生は、水にふれると、鮮やかな緑を取りもどし、生き生きと息づいて見える。
「じいさん、小づかいをくれよ」
 いつのまにか、鶴吉の息子のあきらが、そばにのっそりと立っていた。明はまだ二十歳、札幌さっぽろ市内の予備校に通う学生である。
「なんだ、じいさんとは」
 鶴吉は、つやつやしたひたいにまゆ根をよせた。
「七十二にもなったら、じじいじゃないか」
 明は、耳よりも長くさがった髪を、二、三度ボリボリとかいた。
「親に向かって、なんという言葉だ」
「へえー、親だって? じいさん、あんたほんとに、おれのおやじさんのつもりかい」
「なにっ!」
 腹を立てた鶴吉は、ホースを、思わず取り落としそうになった。
「おっとあぶないよ。おれに貸しな」
 小ばかにしたような笑いを浮かべて、明はひょいとホースを自分の手に持った。
「明、おまえいま、なんといった」
「やっぱり、痛いところを突かれたんだね。顔色が悪いよ、じいさん」
 明はおもしろそうに、ホースの口を空に向けた。水は細く霧のように空中に散った。

つづきは、こちらで

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