【2022年ゆく年くる年】年末年始読み物企画「三三浦綾子生誕100年~新たな100年へ」第2章:新たな100年へ (2)読み継がれる代表作『塩狩峠』

事務局ブログ
レイ
レイ

あけましておめでとうございます レイです。
今年もよろしくお願いいたします。

今回紹介するのは、今から50年前、1973(昭和48)年の三浦夫妻の出来事です。

超多忙な日々は、まさに「売れっ子作家」。


前回までのおはなしと過去の読み物はこちらからお読みになれます。

第2章:新たな100年へ (2)読み継がれる代表作『塩狩峠』

映画「塩狩峠」全国公開から50年

昨年に引き続き、今年2023年も節目の年です。
というのも今年は、映画「塩狩峠」(監督=中村登)全国公開から50年、映画「海嶺」(監督=緒方方久)全国公開から40年にあたる年だからです。
映画「塩狩峠」は、なんと半世紀前!

にもかかわらず、昨年の三浦綾子生誕100年記念クラウドファンディング「三浦綾子原作|名作「塩狩峠」「海嶺」のHDリマスター化にご支援を!」(いのちのことば社)のプロジェクトが、多くの方々の協力により成立しました。デジタルHDリマスター化が実現したことを大変うれしくまた光栄に存じます。

早速2作品ともゲットして視聴しました。

映画「塩狩峠」は、以前にも見たことがあるのですが、きれいな映像で視聴したことにより、初回よりもじーーーんとしました。

場面場面で流れる歌声のすばらしさ、四季折々の花や木々の美しさ、なんといっても一面の雪景色の中、もうもうと煙を上げて走る汽車……

ロケ現場訪問

さて、自伝『命ある限り』で確認すると、三浦夫妻が旭川市内や大夕張のロケ現場を訪れたことが記されています。

 三、四日が過ぎて、私たち夫婦は旭川からかなり遠距離の大夕張でのロケ現場に顔を出した。ついこの間までは、大炭鉱街として賑わっていた筈の大夕張は、既に閉山になっていて静かだった。ここでは最後の山場である列車事故のシーンが撮られていた。地元の人であろうエキストラが、客席の大方を埋めていた。乗客の中には主役の中野誠也氏と新克利氏の顔があった。その中野誠也氏に、中村登なかむらのぼる監督が演技をつけていた。

三浦綾子『命ある限り』[第十一章「細川ガラシヤ」への旅 ](角川書店)

というわけで、まずは映画「塩狩峠」を中心にまとめてみました!

1973年2月、映画「塩狩峠」の件で関係者が来宅。[1]

そして3月13日、映画「塩狩峠」(制作=ワールド・ワイド映画)の撮影が始まります。
監督・中村登、主演・中野誠也ら俳優やスタッフなど総勢50人のロケ隊が千歳に到着しました。

翌3月14日には、旭川、塩狩、夕張にて撮影が進められます(~3月21日)。

14日と15日、三浦夫妻は旭川市内のロケ現場を訪問しております。
この3、4日後には、前述のとおり、大夕張でのロケ現場を訪問しています。
旭川ではどんな場面を撮影されたのかはあえて言いません。
機会がございましたら、『命ある限り』を片手に、映画「塩狩峠」の旭川市内のロケ地を散策してくださいね。

では、このころの綾子の仕事ぶりを見てみましょう。

3月27日には、『生命に刻まれし愛のかたみ』の「まえがき(1973年3月27日 残雪のまばゆい日に 三浦綾子)」を記しています。[2]

3月30日、小説『残像』(集英社)が刊行、翌日31日に光世への献辞を書いています。

愛は痛む
題も小見出しも光世さんのおかげです。
一冊出る毎に、
光世さんの労苦と忍耐
そして導きを思って感謝です  

1973・3・31 綾子  わが師なる 光世様

三浦綾子『遺された言葉』講談社 単行本『残像』(集英社)に書かれた献辞

4月6日、『細川ガラシャ夫人』の取材のため関西を再訪。大阪、京都市内、宮津市内、長崎、熊本への取材旅行へ出かけます(~4月20日)。また、この間、4月16日には、東京・お茶の水図書館(主催=主婦の友社)にて講演を行っています「題不詳」。

4月~5月は出版されたものが多いので、箇条書きでまとめました。

  • 4月12日、光世との対談集『愛に遠くあれど―夫と妻の対話―』(講談社)
  • 「小説宝石」5月号にて「足跡の消えた女」を発表。
  • 5月2日、前川正との往復書簡集『生命に刻まれし愛のかたみ』(講談社) 
    ※この日は前川正の命日
  • 5月10日、『残像』<ノン・ノベル>(祥伝社)
  • 5月25日、新潮文庫『塩狩峠』(解説・佐古純一郎)
    綾子にとっては初の文庫本であり、毎年新潮文庫の100冊に入る代表作でもあります。

それは一本の電話から……

小説『塩狩峠』は雑誌「信徒の友」(日本基督教団)1966年4月号から1968年9月号まで連載され[3]、のち単行本『塩狩峠』(新潮社)として1968(昭和48)年9月25日に刊行されました。

『氷点』入選発表と同日1964(昭和39)年7月10日に文芸評論家・佐古純一郎から電話があったことは、こちらで紹介しました。『幼子のごとく 三浦綾子文学アルバム』をもとに電話の内容を以下に紹介します。

この日、雑誌「信徒の友」で編集委員長でもあった佐古は、都内で泊まり込みの編集者会議に参加していました。

議案の一つに、クリスチャン作家に連載を依頼するという案件がありました。
この日、『氷点』入選発表が1面で報じられました。佐古はこの朝日新聞の記事を見ていました。また綾子が所属している旭川六条教会が、雑誌を発行している日本基督教団出版局と同じ教団であることを知ります。そこで、綾子に連載を依頼することを思いつきます。

まず、旭川六条教会に電話を掛けましたが、川谷牧師は不在でした。
というのも、この日の夜は、三浦家での第1回家庭集会が行われることになっていましたね。
(詳しくはこちら

幸い、三浦家の電話番号を教えてもらい、綾子に連絡を取ることができました。

「愛と謙遜」

『塩狩峠』が誕生する上で欠かせない人物がもう一人います。

それは旭川六条教会員・藤原栄吉です。
二人の出会いについて「愛と謙遜」(『遺された言葉』所収)をもとに紹介します。

入選発表の1か月ほど前の日曜日の午後[4]、旭川六条教会の野外集会が常磐公園で行われました。集会後、綾子は同じ分団になった藤原に対して、不満を光世に漏らします。

ところが、その1週間後の礼拝後、川谷牧師から見せられたのは藤原栄吉からの手紙でした。もう綾子と同席したくないということは、もう教会に来ない、ということです。

直ちに川谷牧師に同行を依頼し、共に謝罪にでかけますが、部屋に入れてもらえず、外で立たされたまま、ひたすら謝り続けるしかありません。
ようやく部屋にあげてもらったその時、机の上の書き物に気付きます。

 部屋に入ってしばらく経ち、ふと見ると、机の上に何やら原稿の束があった。
「何をお書きですか?」
 おそるおそる藤原さんに尋ねると、
「長野政雄さんのことですよ」
と、俄に目を活き活きさせた。話のあらましを聞いただけで、私はいたく感動した。そして、その後また藤原さんに会った時、
「ぜひ小説に書かせて欲しい」
 と、私は心からおねがいした。まだ『氷点』の連載を始めたかどうかの頃で、人様の貴重な資料をお借りするような資格はない。まことに僭越な申し込みであった。

三浦綾子「愛と謙遜」(『遺された言葉』所収)

この長野政雄こそ、小説『塩狩峠』のモデルとなった鉄道員です。長野政雄は、1909年(明治42年)2月28日塩狩峠にて、暴走する客車の前に身を挺して食い止め、殉職しました。

「考えてみると、藤原さんの私に対する憤りがもし解けなければ、あの『塩狩峠』の小説は生まれなかったであろう」と述懐しています。綾子も書いているように、怒ることはたやすく、相手の謝罪を受け入れるのは簡単ではないからです。

 藤原さんについて、もう一つ忘れられないことがある。もう藤原さんが九十歳に近い頃であった。藤原さんは言った。
「明後日、北大の学生が四、五人、わたしに話を聞きに来るそうです」
 藤原さんは少し照れ臭そうに笑った。が、すぐに真顔になり
「いったい、どんな話を聞きたいというのでしょうね。こんな九十近い年寄りに……とにかく、愛と謙遜をもって、誠実に対するつもりです」
 と言われた。私は思わず胸を衝かれた。実に感動した。人間というものは、他者に心を開くことの少ないものである。

三浦綾子「愛と謙遜」(『遺された言葉』所収)

ほかにももっと書きたいこともありますが、話を再び映画「塩狩峠」に戻します。

11月9日、13時より映画「塩狩峠」の試写会が松竹本社(東京・築地)で開催されました。
12月15日、映画「塩狩峠」が全国公開。11日間上映され、観客動員数は約13万。配給元・松竹の予想以上のヒットとなりました。
映画「海嶺」が松竹系で全国公開されたのは、この10年後、1983(昭和53)年12月3日のことでした。

『塩狩峠』はその後、コミカライズオーディオブック化もされ様々な形で読み継がれています。

今も毎年2月28日には殉職からの年数の数のアイスキャンドルを長野政雄遺徳顕彰碑の前に灯し、故人をしのぶ集いが開催されています。[5][6]
また、和寒町の塩狩駅すぐそばにある塩狩峠記念館(※三浦夫妻の旧宅で『氷点』等初期の作品が書かれた)は、毎年この日に限り特別に開館しています。

この集いの様子が撮影された1分ほどの動画が、下記のリンクからご視聴になれます。
2006年2月28日に開催された時のもので、なんと在りし日の光世が『塩狩峠』を朗読している姿も撮影されていました![7]
「塩狩峠」のモデル、長野政雄さんをしのぶ集い(動画):北海道新聞 どうしん電子版 (hokkaido-np.co.jp)

相次ぐテレビドラマ化

この年に映像化されたのは、小説『塩狩峠』だけではありません。

9月17日から、テレビドラマ「裁きの家」放映が始まります。(~11月9日、40回連続)。
制作=NMC、出演=三ツ矢歌子、石浜朗ほか[8]

10月1日からは、テレビドラマ「残像」放映開始(65回連続、~12月28日)。
制作=CBC、出演=望月真理子、中野誠也ほか[9]
同日、主婦の友文庫版『ひつじが丘』上・下、『道ありき』『帰りこぬ風』(主婦の友社)が刊行されています。

11月10日、光世との合同歌集『共に歩めば』(聖燈社)が刊行されました。

12月15日、中短編集『死の彼方までも』(光文社)が刊行されました。まさに「売れっ子作家」という表現がぴったりな活躍ぶりです。
ちなみに『死の彼方までも』に書かれた光世への献辞には、こうあります。

渝らぬ祈りと愛とに 日々導かれて、
又一冊ができました。
心からの感謝をこめて贈ります   

1973・12・13 綾子  愛する 光世様

三浦綾子『遺された言葉』(講談社) 単行本『死の彼方までも』(光文社)に書かれた献辞

この献辞の通り、綾子の人生は、光世の「渝らぬ祈りと愛とに 日々導かれて」いたと思うのは私・レイだけではないはず。

もっと光世のことを知りたい! という方におすすめなのが、田中館長の新聞連載「あたたかき日光ひかげ-光世日記より」です。

現在北海道新聞朝刊(サタデーどうしん)に連載中で、光世が70年にもわたってつけていた日記を丁寧に読み解いて研究した成果を、田中綾館長自ら小説の形(ノベライズ)で発表しています。

挿絵は旭川市在住のイラストレーター・小川けんいち。
「蔵生」三浦綾子記念文学館オリジナルパッケージ(8枚入り)の包装紙のデザインも手掛けています。

過去の回が、以下のリンク先からお読みになれます。
ご興味がおありでしたら、お読みいただければ幸いです。

※会員登録(無料)が必要です。
※紙面に掲載された解説およびメモ、写真の掲載は、電子版ではございません。
あたたかき日光(ひかげ) ―光世日記より 作・田中綾:北海道新聞 どうしん電子版 (hokkaido-np.co.jp)

今回のお話はここまで。
2023(令和5)年は、もう一つ重要な「〇〇から50年」があるため、あと1話つづきます。

(文責:岩男香織)


※外部サイトには、新しいタブを開いて移動します。
※リンク先の内容は、予告なしに変更・削除される場合がございます。予めご了承をお願いいたします。

[1] 田中綾 あたたかき日光-光世日記より 第八章「新築の家で」4 北海道新聞朝刊20面(サタデーどうしん)、2022年10月22日

[2] 「まえがき(1973年3月27日 残雪のまばゆい日に 三浦綾子)」新潮文庫版『生命に刻まれし愛のかたみ』p8参照 ※「まえがき」は『三浦綾子全集』版には未収録

[3] 「信徒の友」1968年8月号に掲載された第29回を以て最終回となるが、翌9月号に「塩狩峠 後記」が掲載されており、書籍にもそこまでを収録。このため、三浦綾子記念文学館ではこの回までを連載時期とみなしている。

[4] 三浦光世 『塩狩峠』が生まれたきっかけ(『愛と光と生きること』所収)に「一九六四年六月初めでした。(略)六月の第一日曜日だったと思いますけれども」とある。

[5] 旭川六条教会 創立100周年記念事業委員会編『日本キリスト教団旭川六条教会100周年記念誌』日本キリスト教団旭川六条教会、2003年5月1日、p255には「二月二八日 塩狩峠アイスキャンドルの集い。於 塩狩。」としかないが、p511「略年表」1990(平2)では「二月二十八日 塩狩峠で長野政雄兄を偲んでアイスキャンドルの集い(第一回)がもたれた。」とある。2021年からは殉職からの年数分のアイスキャンドルが製作されるようになった。これについては注6を参照。

[6] 広報わっさむ  令和3年4月号 2021年4月発行、NO.797 発行:和寒町 編集:総務課情報管理係、p24
※和寒町公式サイトからの閲覧は、下記から可能。
自然の恵み野 和寒/わっさむ町 (town.wassamu.hokkaido.jp)
和寒町役場ホームへ > 総務課ホームへ > 総務課情報管理係 >広報「わっさむ」お知らせ版

[7] 「塩狩峠」のモデル、長野政雄さんをしのぶ集い(動画):北海道新聞 どうしん電子版 (hokkaido-np.co.jp)
https://www.hokkaido-np.co.jp/movies/detail/5293089663001
※動画に登場する中島啓幸は『塩狩峠、愛と死の記録』(いのちのことば社フォレストブックス、2007年7月30日)の著者。同著は長野政雄についての調査報告をまとめたもの。

[8] 江藤茂博著『映画・テレビドラマ原作文芸データブック』勉誠出版、2005年7月29日、p281

[9] 江藤茂博著『映画・テレビドラマ原作文芸データブック』勉誠出版、2005年7月29日、p281

タイトルとURLをコピーしました