1936(昭和11)年1月3日、綾子の弟・秀夫が誕生
「笑点」の司会者として知られる五代目三遊亭圓楽(本名:吉川寛海)は、1933(昭和8)年1月3日東京・浅草生まれ(※戸籍上の生年月日。前年12月29日に生まれたものの日が悪いとして後日出生届が出された)、2009(平成21)年10月29日転移性肺癌のため、77歳で死去しました。
圓楽が生まれた3年後の1936(昭和11)年 1月3日は綾子の弟で堀田家七男・秀夫が生まれた日で、綾子から見ると前述の桂歌丸と立川談志の二人は弟の秀夫と同じ年になるわけです。
1954(昭和29)年9月、六代目三遊亭圓生の一番弟子として入門し、1955(昭和30)年2月に前座名・三遊亭全生と命名され、1958(昭和33)年3月二ツ目昇進。1962(昭和37)年10月には29歳にして真打に昇進、同時に五代目三遊亭圓楽を襲名しました。
「笑点」という番組名を考えた立川談志、綾子のお気に入りの落語家・桂歌丸と同じく「金曜夜席」を経て1966(昭和41)年5月15日「笑点」放送開始日からレギュラー出演、一時期番組出演を見合わせた時期もありますが1983年1月から再び「笑点」司会者に戻り、2006年5月14日に放送された2000回記念特番「笑点40周年だよ! さらば圓楽スペシャル」にて笑点を勇退しました。
談志は圓楽について、 不思議な男ではあるが、ただ落語のコトとなると私とイロ/\分解し、〝これからの落語〟を、また〝古典〟に、〝生活態度〟に、〝お客の立場〟に……と、話し合える唯ひとりの友人なのである。[1]
立川談志 「見どころ聞きどころ」の芸人達 三遊亭円楽(立川談志『談志人生全集 第一巻 生意気ざかり』所収)
と記し、「落語界で最も大切な男」[2]と評しています。1967(昭和42)年に書かれたこの文章は、後年圓楽も談志同様に落語協会を脱退し、寄席「若竹」を建設した姿を予見しているようにも思えます。
二ツ目の頃からテレビやラジオに出始めた圓楽は、歌丸と異なりテレビ出演には懐疑的だったといいます。そんな圓楽がテレビ出演に前向きになったのは、1964(昭和39)年に立川談志から演芸番組をやろうという誘いによることが自著『圓楽 芸談 しゃれ噺』(白夜書房)に記されています。
当時は、いまと違いまして、寄席にまったくお客が来ない状態が続いてたんです。
三遊亭圓楽『圓楽 芸談 しゃれ噺』(白夜書房)
いま思えば、志ん生、文楽、圓生、彦六の正蔵、小さん、馬生、三平って、名人上手や人気者がきら星のように出てたというのに、どうしたわけですか、寄席は閑古鳥が鳴いてたんです。
で、なぜだろうと思ったら、ちょうどこの頃、テレビ・メディアが普及しだしてたんです。[3]
また、談志は以下のように圓楽を説得したと記しています。
「これからは、落語家はテレビにもどんどん出ていかなきゃ駄目だ。
三遊亭圓楽『圓楽 芸談 しゃれ噺』(白夜書房)
もっとも落語は前後にしかコマーシャルを入れられないし、座ってるだけで不向きだから、大喜利をやればいいのさ。
大喜利なら途中でもコマーシャルを入れられるからね。それを前面に出すのは感心しないが、やらないのも駄目だ」って。[4]
談志の言葉にも一理あると思った圓楽はやってみようかと出演を決めます。これが前述の1965年3月12日(金)22時~23時15分、日本テレビ系で始まった新番組「金曜夜席」です。圓楽自身の回想を再度『圓楽 芸談 しゃれ噺』から引用します。
当時、日本テレビの第一と第三金曜日の夜はプロレス番組をやってたんですが、第二と第四の夜が空いてたんです。
三遊亭圓楽『圓楽 芸談 しゃれ噺』(白夜書房)
ところが、その枠は、当時全盛の美空ひばりを出しても、視聴率二十パーセント女優と言われた池内淳子主演のドラマをやっても当たらなかったんです。
それで、何かアイディアはないかっていうんで、小里光さんというプロデューサーが企画を探してた所へ、談志が大喜利番組の話を持ちかけたんだと思います。
それで、昭和四十年三月十二日から始まったのが『金曜夜席』(午後十時三十分~十一時十五分)という、『笑点』の前身となる番組です。[5]
その後、スポンサーの意向も踏まえ日曜日に移動します。が、オンエアの時間帯16時30分~17時10分までの40分は「テレビをつけても砂嵐状態」[6]と言われた時間帯でした。メンバーはがっかりするものの、「でも、その砂漠をフロンティアよろしく開拓するのも面白いんじゃないか、やってみようじゃないか」[7]ということでいよいよ新番組「笑点」が始まります。
番組名の由来はどっち?
「金曜夜席」という番組名は、金曜日の夜に寄席を放送するからつけられたものと思われますが、放送曜日と時間帯が日曜日の夕方に変わる以上、「金曜」も「夜席」も番組名として使えず、番組名変更を余儀なくされます。
では何故「笑点」なのか。2説あった番組名の真相について、このあたりで私の結論を出そうと思います。もう一度2つの説を振り返りましょう。
その1:一大ブームを起こした綾子の小説『氷点』をもじった説。[8]
その2:「演芸にしろ大喜利にしろ、まさに笑いのポイントだから『笑点』とした説[9]。
とくに、後者は「談志司会時代のテーマ曲だった『笑点音頭』のなかにも同様の歌詞があるため、この説が有力とされている」[10]でしたね。
私は、『圓楽 芸談 しゃれ噺』にある以下に引用する文章が回答そのものだと思います。
だけどそうなると『金曜夜席』というタイトルは使えない。
三遊亭圓楽『圓楽 芸談 しゃれ噺』(白夜書房)
じゃあってンで考えたのが、当時ベストセラーだった三浦綾子さんの『氷点』。
これにあやかって、こちらは笑いのポイントで『笑点』、あたくしどもにも焦点をあてて下さいという願いも込めて付けたんです。
で、このタイトルがまさに的、ポイントを射ていたんでしょう。
これが一躍、昭和四十年代から始まる噺家タレントブームの火付け役になったんです。
おかげでどこの寄席もたくさんのお客さまがつめかけるようになりましたし、あっちこっちの番組にひっぱりだこになりました。[11]
つまり、2説に分かれたのではなく元々「笑点」は綾子の『氷点』をもじって名付け、その時に出演者の願い「こちらは笑いのポイントで『笑点』、あたくしどもにも焦点をあてて下さい」が込められたものだということです。「笑点音頭」を作る際にも、番組開始当初の願いを歌詞に盛り込んだのが真相なのではないかというのが私の結論です。
番組関係者や出演者など事情をよく知る人物への取材が容易だったころ、例えば1970(昭和45)年12月10日付「読売新聞」朝刊に掲載された「テレビと共にタレント繁盛記(230)」では「「笑点」という題名は、当時テレビドラマ「氷点」(NET)がヒットしていたため、これをもじったものである」[12]と断定的に報道しているのに際し、放送開始から20年近くがたち、1000回直前となる1985年12月13日の「朝日新聞」(東京版)夕刊記事「高視聴率、ファンに定着 「笑点」20周年1000回」では「番組のタイトルは、発足当時の人気テレビドラマ「氷点」をもじって「笑点」と名付けたそうだ」[13]と伝聞調になっています。時がたつにつれて関係者の記憶があいまいになったり、放送開始当時を知るテレビ局関係者が減ったりなどしたため、いつしか2つの説が生れる原因になったのではないかと推測いたします。
以上、4日間にわたり綾子が愛した「笑点」から三人の落語家を紹介しながら「笑点」の番組名の由来について考えてみました。先日、桂歌丸と三遊亭小遊三が東川町に来ると聞いた綾子たちは夫婦で駆けつけ、少年少女に感激したエピソードを紹介しました。そのあとに続く文章を『命ある限り』から引用します。
常々私は「笑い」というものが人間生活の中で、本当に大切なものだと思っている。一日に一度も笑わぬ日を三百六十五日つづけているとしたら、いったい人間はどんなことになるであろう。現代の生活で最も必要なものは、あるいはこの笑いではないかとさえ思うことがある。夫婦、親子、きょうだいの間に、明るい笑いのあるところ、そこは必ず平和な世界といえるだろう。
三浦綾子『命ある限り』
この部分を読むと、何故綾子が自身の小説から番組名が「笑点」になったことを喜び、その番組を愛し、熱心に視聴していたのか納得できます。
なお、『命ある限り』には作家となった綾子が、三遊亭圓楽が生まれた浅草を訪れた場面も記されています。当初、浅草に絡めて「はなし塚」や戦時中の禁演落語についても記したかったのですが、私の力量不足のため記すことができませんでした。本稿末に読んだ書籍を紹介するという形にとどめますが、機会がございましたらお読みいただければ幸いです。
文・岩男香織
脚注
[1] 立川談志 「見どころ聞きどころ」の芸人達 三遊亭円楽(立川談志『談志人生全集 第一巻 生意気ざかり』1999年6月、講談社所収)、p333
[2] 立川談志 「見どころ聞きどころ」の芸人達 三遊亭円楽(立川談志『談志人生全集 第一巻 生意気ざかり』1999年6月、講談社所収、p333)
[3] 三遊亭圓楽『圓楽 芸談 しゃれ噺』2006年7月、白夜書房、p192-193
[4] 三遊亭圓楽『圓楽 芸談 しゃれ噺』2006年7月、白夜書房、p193
[5] 第4章 あたくし的『笑点』史 三遊亭圓楽『圓楽 芸談 しゃれ噺』白夜書房、2006年7月、p194
[6] 第4章 あたくし的『笑点』_edn1史 三遊亭圓楽『圓楽 芸談 しゃれ噺』白夜書房、2006年7月、p203
[7] 第4章 あたくし的『笑点』史 三遊亭圓楽『圓楽 芸談 しゃれ噺』白夜書房、2006年7月、p204
[8] 笑点探偵_edn1団『笑点の謎-あの怪物番組の秘密が、いま明かされる』2001年2月、河出書房新社、p23
[9] 笑点探偵団『笑点の謎-あの怪物番組の秘密が、いま明かされる』2001年2月、河出書房新社、p23
[10] 『笑点』はこうして生まれた ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』、2016年9月、p102「検証!・2 実はふたつの説が囁かれる名前の由来」に以下の記述がある。
『笑点』番組名の由来には、現在もなおスタッフ間でふたつの説がある。ひとつは、「“笑いのポイント”だから=笑点」説。談志司会時代のテーマ曲だった『笑点音頭』のなかにも同様の歌詞があるため、この説が有力とされている。もうひとつが、当時流行していた三浦綾子の小説『氷点』をもじったのでは、という説。残念ながらどちらの説が正しいか、50年を経た今や真相は藪のなか。
[11] 三遊亭圓楽『圓楽 芸談 しゃれ噺』第4章 あたくし的『笑点』史 白夜書房、2006年7月、p204。
[12] テレビと共にタレント繁盛記(230) 落語家たち(十二) 1970(昭和45)年12月10日付「読売新聞」朝刊、23面
[13] 高視聴率、ファンに定着 「笑点」20周年1000回 「朝日新聞」(東京版)夕刊、1985年12月13日、13面
参考文献
落語全般
小山観翁『落語鑑賞の基礎知識』三省堂選書112、1985年1月、三省堂
東大落語会編『落語事典 増補 改訂新版』1994年9月、青蛙房
山本進編『落語ハンドブック』第3版、2007年11月、三省堂
山本進・稲田和浩・大友浩・中川桂著『黄金の落語時代』2010年6月、三省堂
広瀬和生『現代落語の基礎知識』2010年10月、集英社
落語日和編集委員会編『落語日和』2014年10月、山川出版社
湯島de落語の会編『落語 修業時代』2017年6月、山川出版社
桂歌丸著作
桂歌丸『座布団一枚! 桂歌丸のわが落語人生』2010年9月、小学館
桂歌丸『歌丸 不死鳥ひとり語り』中公文庫、2018年8月、中央公論新社
※『恩返し――不死鳥ひとり語り』2012年中央公論新社刊行を文庫化にあたり改題・加筆。
桂歌丸『歌丸極上人生』祥伝社黄金文庫、2015年6月、祥伝社
※桂歌丸著、山本進編『極上歌丸ばなし』(2006年6月、うなぎ書房)の改題、加筆修正
桂歌丸『桂歌丸大喜利人生-笑点メンバーが語る不屈の芸人魂』2018年12月、ぴあ
立川談志著作、参考資料
立川談志著『現代落語論』三一新書、1965年12月、三一書房
※本稿では立川談志『立川談志遺言大全集10 落語論一 現代落語論』2002年4月、講談社を使用。著者自身により校訂、再編集。巻末の「『現代落語論』、その後」を書き下ろしで収録。
立川談志著『あなたも落語家になれる 『現代落語論』其二』1985年3月、三一書房
※本稿では立川談志『立川談志遺言大全集11 落語論二 立川流落語論』(2002年7月、講談社)を使用。著者自身により校訂、再編集。巻末の「『落語立川流、その後」を書き下ろしで収録。
立川談志『談志人生全集 第一巻 生意気ざかり』1999年6月、講談社
立川談志『談志人生全集 第二巻 絶好調』1999年10月、講談社
立川談志『談志人生全集 第三巻 大名人のつもり』1999年12月、講談社
立川談志『立川談志遺言大全集10 落語論一 現代落語論』2002年4月、講談社
※立川談志著『現代落語論』(三一新書、1965年12月、三一書房)を著者自身により校訂、再編集。巻末の「『現代落語論』、その後」を書き下ろしで収録。
立川談志『立川談志遺言大全集11 落語論二 立川流落語論』2002年7月、講談社
※立川談志著『あなたも落語家になれる 『現代落語論』其二』(1985年3月、三一書房)を著者自身により校訂、再編集。巻末の「『落語立川流、その後」を書き下ろしで収録
著 立川談志、聞き手 吉川潮『人生、成り行き―談志一代記―』新潮文庫、2010年12月、新潮社
第一席「中興の祖」立川談志 広瀬和生『噺家のはなし』(2012年5月、小学館所収)
立川談志『立川談志自伝 狂気ありて』2012年8月、亜紀書房
三遊亭圓楽(五代目)著作
三遊亭圓楽『圓楽 芸談 しゃれ噺』2006年7月、白夜書房
禁演落語及び国策落語について
柏木新『はなし家たちの戦争――禁演落語』2010年11月、本の泉社
柏木新『国策落語はこうして作られ消えた』2020年2月、本の泉社
「金曜夜席」「笑点」参考資料
笑点探偵団『笑点の謎-あの怪物番組の秘密が、いま明かされる』2001年2月、河出書房新社
笑点探偵団『笑点諸国お笑い漫遊記-あの地方公録の秘密が、いま明かされる』2003年12月、河出書房新社
『笑点』2006年1月、日本テレビ放送網
日本放送作家協会編『テレビ作家たちの50年』2009年8月、日本放送出版協会(NHK出版)
桂歌丸述 『笑点』談志と円楽二つの降板事件(文藝春秋編『テレビの伝説-長寿番組の秘密』文春文庫、2013年12月、文藝春秋社所収、p139-148)
山本俊輔・佐藤洋笑 著『NTV火曜9時 アクションドラマの世界『大都会』から『プロハンター』まで』2015年5月、DU BOOKS
ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』、2016年9月
取材・文 田崎健太、写真 関根虎洸『全身芸人 本物(ルビ:れじぇんどい)だらけの狂気』、2018年12月、太田出版
新聞記事
1963年3月12日番組欄「朝日新聞」(東京版)朝刊8版9面
1963年3月12日番組欄「朝日新聞」(大阪版)9面
1963年3月12日番組欄「朝日新聞」夕刊(東京版)、3版10面
1963年3月12日番組欄「朝日新聞」夕刊(大阪版)、5版8面
1966年5月9日番組欄「読売新聞」朝刊9版7面
1966年5月15日番組欄「読売新聞」朝刊12版10面
テレビと共にタレント繁盛記(230) 落語家たち(十二) 1970(昭和45)年12月10日付「読売新聞」朝刊、23面
高視聴率、ファンに定着 「笑点」20周年1000回 「朝日新聞」(東京版)夕刊、1985年12月13日、13面
そのほか
世相風俗観察会編『現代風俗史年表-昭和20年(1945)→平成12年(2000) 増補2版』2001年2月、河出書房新社
下川耿史編『増補版 昭和・平成家庭史年表』初版1997年12月、増補新装初版2001年4月、河出書房新社
次の読み物は、「こち亀」こと『こちら葛飾区亀有公園前派出所』に登場する、三浦綾子の言葉との不思議なつながりについてです(2021年3月3日配信予定)。お楽しみに!