『塩狩峠』50年 「三浦文学でまちおこし」(7)

『氷点さんぽ』 三井ヤスシ

『氷点さんぽ』 三井ヤスシ

『氷点さんぽ』(表紙) 三井ヤスシ

『氷点さんぽ』(表紙) 三井ヤスシ

『氷点さんぽ』(表紙) 三井ヤスシ
 
かなり『塩狩峠』50年事業も出来あがってきました。
連携する旭川市、和寒町、上富良野町とも、「まちおこし実行委員会」ができあがって来ています。

さて、今回は。三浦綾子小説の道を3つ作ろうというイベントについてです。
「近郊、健康、知考」をキーワードに発想したこの計画。旭川には「氷点の道」、和寒には「塩狩峠の道」、上富良野は「泥流地帯の道」を選定していきます。
いまはみんなで頭をひねって考えている最中。ですから、まだ確定した「道」は一つもありません。そこで、現在作業している段階でイメージされている「道」を一つだけ。「氷点の道」のバーチャル版を妄想し?案内してみましょう!
案内者は、『氷点』の主人公陽子のお兄さん、徹(50年後の徹)さんに。

□  ぼくは徹です。さあ~、バーチャル版「氷点の道」を案内しましょう。
ぼくはいま、見本林の入り口にある自宅(『氷点』の設定の場所)の前に立っています。さあ、出発です。
今朝は冬晴れ、快晴!見本林の木々は霧氷に包まれています。気温は氷点下23℃、チョウ寒いよ―。
最初はやはり三浦綾子記念文学館。『氷点』の資料や綾子さんの遺した素晴らしい言葉がたくさん展示。頭の中の映像にしっかり記憶してね。館を出てすぐ前の「氷点通り」にでます。国道を左に曲がるとすぐに僕と陽子の通った神楽小学校と中学校(跡地)。陽子の白紙答辞事件が一面真っ白な雪とともに浮かんできます。突当りを右へ曲がると神楽本通り。そして、畔に「サムライ部落」があった忠別川に架かる「神楽橋」(現忠別橋)を通って一条通りを左へ。
辻口病院のモデルとなった旭川赤十字病院が目の前に。その横をしばらく歩くと緑豊かな常磐公園に着きます。彫刻の街あさひかわの野外彫刻群が素敵に語りかけます。すぐそばには川のまちを象徴する旭橋が。図書館や文学資料館、道立旭川美術館などもあり「北の薫り高い文化のまち」の風情を存分に感じられるところです。
マジックのような車の回廊「ロータリー広場」を通って9条通りへ。5分くらいで綾子さんと光世さんの新婚の家、…の跡地。でも、9畳(苦情も言わず)の間は2人の記憶からは離れない場所だったようです。右へ曲がり街の中心へ入ります。
10人兄妹だった綾子の生まれた地(家の跡地)や愛する光世さんとの結婚式が行われた6条教会をみながら、3条7丁目の「喫茶ちろる」へ。72年前建てられたという旭川最古?の喫茶は母夏枝が辻口病医院村井医師と偶然会った場所。ツタのからまる外壁、坐って窓を眺めると緑の箱庭がとても美しい。ちょっとコーヒーでも、というのがおしゃれ。かな?
一休みしたらすぐ横の平和通買物公園通りに出て旭川駅へ向かいます。途中1条通りでは陽子がバスを降りた丸井今井前(今は「フィールあさひかわ店」に)。国道であったこの通りは、戦争中出征した兵士の見送りで埋まり「軍都」旭川を象徴する道でした。今は「平和」通りと真逆の名前になり、旭川市民の誇りにもなっている道です。 
ようやく国鉄旭川駅(現JR)です。陽子の恋人北原が幾度となく降り立った「ロマンス空間」。
駅の反対側には十勝岳の清流忠別川が氷を天に仰ぎ流れています。ここには近年「北彩都」と名付けられた、蛇行する川に沿う緑豊かな大公園がつくられました。架かる橋はご存じの「氷点橋」。市民の公募で名づけられた橋です。街なかより5℃くらい低い河畔を歩き氷点橋の上に立つ…と。雄大な北海道の屋根、雪の大雪山連峰がキャンバスに貼りついています。『氷点』が、この街だからこそ生まれた、と実感できる。瞬間です!
余韻を引きずりながら、橋から続く「氷点通り」を三浦綾子記念文学館まで一直線。小学4年生から7年間牛乳配達をした雪の旭川。三浦綾子の原風景を追体験した「氷点の道」でした。ごくろうさま。 □

 ※お断り※
  実際に冬の「氷点の道」を歩くことができるのは、今年の12月頃からになります。3つの道は、今年5月にできあがり、道のポイント解説などを掲載したパンフレットが作成される予定です。
 
(文責:松本道男)

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